関税定率法は憲法違反だ
1993年6月1日、東京地裁民事部に一件の訴状が提出された。
アメリカから個人的に持ち込もうとした写真集が「わいせつ」とされ、「輸入禁制品」となったことに対し、処分の撤回を求めるものであった。
問題の写真集とは、『Robert Mapplethorpe』。
ニューヨーク・ホイットニー美術館で88年に開催された、ロバート・メイプルソープの回顧展カタログである。
黒人男性ヌードやSM、同性愛、あるいは花を題材に、現代美術界に大きな影響を与えたメイプルソープ。
だが、税関職員はペニスが写っているから、肛門が写っているから、女性の陰毛が写っているからと、この写真集を「風俗を害すべき物品」と規定し、輸入を認めなかったのである。
これに対し私たちは
- 税関検閲の違憲性
税関は輸入出版物について表現内容を強制的に検査し,その国内における公表を禁止する権限を持っている。これは憲法21条で禁止する「検閲」に該当する。
- 個人所有目的輸入禁止の違憲性
刑法175条の猥褻物頒布罪は頒布,販売,陳列と販売目的所持のみを処罰の対象としており,個人所有目的の所持を処罰対象としていない。単なる所持目的の輸入を禁止する関税定率法は違憲である。
- 写真集の芸術性
メイプルソープは世界的にも評価の高い芸術家であり,彼の作品は猥褻物ではない。
を基本に、処分取り消しを求めた。
被告である国側の主張は
- 税関規制は検閲ではない
税関規制は思想表現内容とは全く無関係に,わいせつな物であるかどうかという物品としての性状のみを基準としている。
- わいせつ物の水際阻止
税関はその物品が個人目的なのか,販売・頒布目的で輸入されるかを判断できない。輸入後,国内で販売・頒布されるのを防ぐために,いかなる理由であっても輸入を禁止する必要がある。
- 写真集のわいせつ性
この写真集には男性の性器,女性の陰毛が露骨に表現された写真があり,わいせつである。
というもの。
残念ながら94年10月27日、東京地裁は国側の主張を認め、輸入禁止は合憲であるとの判決を下した。
原告は直ちに東京高裁に控訴、だが95年10月31日に東京高裁はまたもや原告敗訴の判決。
現在、裁判は最高裁に上告中である。
この数年、「ヘア解禁」などと言われて女性陰毛が写っている写真は国内では取り締まりの対象とならなくなっている。だが、その一方で荒木経惟さんの写真展カタログ『AKT-TOKYO』を販売していた書店のアルバイト店員までが逮捕されたり、大手書店がヌード写真集の販売を拒否したりといった事態が起きている。しかも、相変わらず税関は「ヘア」さえ認めてないのである。
破綻した「水際阻止論」
税関が個人所有目的の輸入をも含め,わいせつ物の輸入を一律に禁止している根拠として「水際阻止論」というのがある。国側の書面から引用すると
「いったん国内に流入したわいせつ表現物が,その所持目的を変えて頒布・販売の課程に置かれることも十分予想される上,最近における表現及びその受容の手段,あるいは表現物複製の技術の著しい進歩やそのための危機の普及に伴い,この種のわいせつ表現物がいったん国内に流入するときは,当該わいせつ表現物ばかりでなく,廉価で
精巧な複製物が,たやすく流布,拡散しあるいは公然たる展観に至る蓋然性は極めて高い。」(1993年11月8日の国側準備書面)
つまり,日本国内に輸入されようとするわいせつ物が個人所有目的なのか,販売・頒布目的なのか特定できず,いったん国内に持ち込まれれば,たやすく複製されて販売・頒布される可能性がある。だから写真集1冊でも持ち込ませないというのだ。ちなみに刑法175条ではわいせつ物の販売・頒布・公然陳列および販売目的の所有だけを取り締まりの対象としており,単なる個人所有は自由である。
この水際阻止論は,取り締まりの便宜だけをはかる官僚ならではの理屈であるが,現在のネットワーク社会時代にはまったく破綻していることが明白である。インターネット上でのわいせつ表現規制はおいておくとして,現実に世界各国のWWWサイトに置かれているわいせつ表現をわれわれは自由に見て,ダウンロードし,再配布できる。裁判を起こした93年当時でも海外のBBSやインターネットのNet Newsでいくらでもデジタル化されたポルノ写真は手に入れることができた。まぁ、国際電話をかけてBBSにアクセスしたり,商用プロバイダーもいない時代にNet Newsを読んで,テキスト化されている画像ファイルを入手し,それをグラフィックデータに復元するのは一般ユーザ向きの話ではない。でも,今やマウス片手で誰でも簡単に世界中のWWWサイトにアクセスできる時代。
トゥナイトでも山本監督が「コタツでミカンを食べながら,こうやって世界中のポルノが見られるんですねぇ」とやっていたぞ。
それに税関が規制できるのは「物品」のみ。写真集やCD-ROMならば「物品」だから取り締まることもできるけど,電話線の中を流れるデータを規制はできない。「マドンナ」の写真集にしても,アメリカで製版データを作ってしまい,インターネットでftpでもすれば手も足も出なくなる。
つまり,税関が言う「外国のわいせつ表現物が国内へ流入するのを,通関線つまり水際で阻止する税関行政上の合理性,必要性」(同準備書面)など,とっくになくなっているのだ。
ロバート・メイプルソープ略歴
Robert Mapplethorpe
1946年11月4日ニューヨーク州ロングアイランド生まれ。1989年3月9日,エイズで死去。
42歳。ブルックリンの美術学校で絵画と彫刻を修得。60年代の終わり頃から,ロックシンガーのパティ・スミスと7年間同棲。
X(ハード・ゲイ・ポートレート),Y(花),Z(黒人男性ヌード)の3つのポートフォリオで写真界,現代美術界に大きな衝撃を与える。
主な写真集として「BLACK BOOK」「SOME WOMEN」「LADY LISA LION」「FLOWERS」など。日本でもPARCO,宝島社,アップリンクなどから出版されている。なかでもアップリンク発行の「ロバート・メイプルソープ写真集」はRANDOM HOUSE社版のリプリントであり,16800円とちょっと高いがXYZポートフォリオを網羅した集大成版。
1992年に東京都庭園美術館,水戸芸術館などで大規模な巡回展が開かれた。
ゲイである彼の写真はアメリカ保守派からの攻撃の的ともなっており,写真展の自主規制や中止という事態が相次いだ。この件については『アシッド・キャピタリズム』(小倉利丸著,青弓社)などに詳しい。
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