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大台ヶ原山行報告(byモーリン)

 9月15〜18日に、夏休み(1年に1回唯一ポケベルから開放されるときです)
を利用して大台ヶ原に行ってきました。
姫路に住んでいる親友が以前から大台ヶ原に行きたがっており、
彼女の希望を優先してそことなりました。
休みがなかなか取れない友達(看護婦さんなので)は
夜勤明けで3連休をもらって行ってきました。

ここは山MLの方には説明の必要もないと思いますが、
「近畿の屋根」と称される高原大地で、百名山の1つです。
大台ドライブウェイが開設されてから登山も容易になり、
日帰りハイキングとしても人気を呼んでいる場所です。

大台ヶ原までのアクセス
 今回は「トレンタ君」を利用しました。
9:08のひかりレールスターに広島から乗り、
10:08 姫路で夜勤明けの友達と合流し、
10:38に新大阪着。大阪まで出て、
11:05の大和路線快速に乗り換えて
11:49に奈良着。そこでレンタカーを借りて簡単に昼食を済ませたあと、
13時前に奈良駅前を出発。
途中、大台ヶ原ドライブウェイに入る少し手前にある洞窟不動明王そばの
喫茶店に立ち寄り休憩。
あとはひたすら大台ヶ原に向けて走りました。
奈良から橿原を抜けるまでが、市民の生活道路であるうえに1車線であるため、
ここでかなり時間を取られ、
結局大台ヶ原ビジターセンターのところに着いたのは16時でした。

宿泊所 
 大台ヶ原ビジターセンター(東西の大台ヶ原ハイキングコースの出発点)の
ところにある大台荘に、その日から3連泊しました。
ただ、こんな山の家に3連泊するような人は居ないらしく、
しきりに「ゆっくりされるんですね。奇特なかたですね。何かの調査ですか? 
夕食はなるべく変えてもらうよう頼んでみますが、
大して変わらないと思うので、すみません。
弁当と朝食は毎日同じになります。」と気を使われました。
実際、酸性雨の研究などに関西方面の大学などから調査に来ることも多いようで、
私たちが行ったときも姫路工業大学の学生が酸性雨の調査をしていました。

大台荘は、本館に続いて新館があり、思ったよりきれいで設備も整っているのに驚きました。
ただ普通の山の家に比べるとそのぶん値段は高いですが…。
大部屋であれば一泊二食7000円ですが、
私たちはトイレ付きの4人部屋を2人使用とさせてもらったので11000円と、
こういうところにしてはかなり高い宿泊料金となりました。
でも夜中にトイレに起きることを考えたら、この部屋で正解でした。

食事は17時からで、入浴は16時から19時の間。
食事はメインディッシュが変わるだけで、ほぼ毎日同じメニュー。
朝食と弁当は言われた通り毎日同じものでした。
でも夕食のメニューを少し変えてくれるだけでも、
好意でやってくださってるのでしょうからありがたいことでした。

入浴は最初の日は土曜日だったこともあって泊まり客も多く、
団体も入っていたので、男女とも20時まで使わせてもらえましたが、
翌日からは10人にも満たない宿泊客のため、
男性風呂のみ使用で順番に鍵をかけて入る方法をとられました。
お風呂はきれい(雨の多いところのため、部屋は少しカビ臭かったので、
お風呂も期待してなかったのですが、きれいに掃除され、浴槽もステンレスでピカピカ)でした。
ちなみに女性風呂のほうが少し広めでよりきれいでしたが…。

食事と入浴を済ませても20時過ぎには全て終わってしまうので、
21時過ぎには寝て、毎日、普段の生活からは考えられないような、
早寝早起きの健全な生活を送りました。

天気
 大台ヶ原は本州で一番雨が多いところと言われており、
九州の屋久島と同じで、「1ヶ月に35日雨が降る」と表現される場所です。
それくらい雨が多いと言うことで、
屋久島同様、晴れていても急に曇ってスコール的に雨が降るようです。

かつて1日に1300mlの雨が降ったことがあり、
それは奈良県の年間降雨量に相当する量だそうです。
一体どんな雨の降り方だったのでしょうか? 
バケツをひっくり返したっていうものではなく、
プールの水をひっくり返したようなものでしょうか? 
想像するだけでもすごいですよね。

私たちが到着した日も、「台風と秋雨前線の影響もあって
1週間以上青空を見てない。」と大台荘のかたが言われており、
「ここで雨に遭わない人はよっぽど普段の精進がいいと言われるんですよ。」って
言われました。そんな中で、強力な晴れ女の私と友達は一度も雨に遭わず、
翌日からの3日間快晴でした。
おかげで大台ヶ原散策は素晴らしいものとなりました。

東大台ヶ原
 16日の朝は、7時に朝ご飯を食べたあとゆっくりして、
9時過ぎに大台荘を出発し、東大台ヶ原コースを歩きました。
東大台ヶ原は1周9km4時間のコースですが、
途中で写真を撮るために立ち止まったり、双眼鏡で鳥を観たり、
川で遊んだり、休憩を取ったり、昼ごはんを食べたりと、
かなりゆっくり散策して回ったので、トータル6時間かかりました。
こちらは一般観光向けに整備された道が続いており、
実際バスなどで、メインの場所だけを観にやってくる観光客も多く、
その日は日曜日だったこともあって、かなりの人出でした。

まず林の中の道、約2kmを1時間弱歩いて、「日の出が岳(標高1695mの主峰)」
に到着。天気が良かったので西には大峰連山が、
東には熊野灘がきれいに見えました。
快晴時には志摩半島から遠く富士山まで望むことができると言われています。
ここから日の出がきれいに見えるため、日の出が岳と呼ばれるのでしょう。

そこからは白いきれいな木道が続き「正木峠」から「正木が原」に続きます。
ここは、一面イトザサが広がる中、トウヒという樹木の立ち枯れが続いた場所で、
今までとは全く違う、独特な奇観を作り出しています。
これはこれで素晴らしい景色なのですが、昔の姿がパネルに紹介してあり、
それと比較すると何か考えさせられるものがありました。
ここも、つい何十年か前までは他の場所と同じように、
うっそうと木が茂り苔むした道が続く森だったようですが、
伊勢湾台風でたくさんの木が倒れ、日が射し込むようになった森の中には
イトザサが伸び始め、それを食べに来た鹿がトウヒの皮を剥いで食べ、
次々と立ち枯れていって今のような姿になったようです。
そして昔はオオカミによって自然淘汰されていた鹿の数も、
オオカミの絶滅とともに増え続け、トウヒを更に立ち枯らせているようです。

この中を通り過ぎ(1時間弱)、下りと平坦な道を野生の鹿を見ながら
さらに30分くらい歩くと、今度は「牛石が原」と言うイトザサの絨毯をひきつめた
大平原に出ます。
ここは、かつて神武天皇が東征の際、熊野からここを越えて行ったとされる場所で、
神武天皇の銅像が建っていました。
そのすぐ近くに牛に似た大きな牛石が鎮座しており、
これがこの地の名前の由来です。
この地で悪さばかりしていた妖怪たちを修行僧が封じ込めたとされる石で、
叩くと雨が降ると言う言い伝えがあります。
冗談で叩いて雨に降られるのも嫌なので、叩かずに素通り。

ここで敷物を敷いて少し遅めの昼ご飯としました(1時前)。
草原には入れないようにロープが張ってあるので、
通り道の少し広めのところで、他にもたくさんお弁当を食べていました。
ただ不謹慎な家族がロープの中に入って敷物を敷き、ワイワイ騒いでいましたが…。
こういう人たちによって自然の姿が壊されていくのを防ぐために木道を作ったり、
ロープで道を仕切ったりされているようです。

そこからさらに10分ほど歩いたところで、東大台ヶ原一の絶景ポイント、大蛇ぐらに到着。
観光客の中にはここだけ観にくる人もいるようです。
くら(大きな岩のこと)の上にあがり、鎖の垣ごしに真下の大断崖をのぞき込み、
そこでハイ、ポーズ!。
高所恐怖症の友達は、鎖を握りしめながらこわごわ上がってきましたが、
あとで聞くと、私が突端まで行ってるので、私が落ちたらいけないから
あそこまで行かないといけないと思って、必死に来てくれたそうです。
友達思いの優しい友達でした。

そこからは少し足場の悪い道をひたすら下って(約40分)、シオカラ谷に到着。
シオカラ谷を流れる渓流の河原でしばらく水遊び
(水大好きの友達は必ず、裸足になって川に入る)。
水がとってもきれいでした。そこからは、シオカラ谷に下りるために
下ったぶんだけ一気に上らないといけず、約1.4kmの道のりを1時間かけて
ゆっくり駐車場まで戻りました。
初登山に近い友達はここでへげてました。
そうして、無事15時半過ぎに、ビジターセンターに到着。
計6時間の散策でした。


御来光と雲海
 翌朝4時に起き、5時前に大台荘を出発し、日の出が岳に日の出を観に登山。
前日は1時間くらいかかって上がった道のりも、全く寄り道をしないため、
40分もかからず、頂上へ。
到着したのは丁度、空がオレンジ色に染まり始めたときでした。
他にも男女3人ずつの20才くらいの若者が観に来ていました。
オレンジ色に染まる空の遙か彼方まで雲海が広がり、
所々顔を覗かせている山の頂がまるで島のようで、
山と山の間の雲海が滝のように流れ、何とも言葉に表現できない美しさでした。
その風景に見とれている間もなく、遠く熊野灘の水平線上から太陽が昇りはじめました。
構えていた写真とビデオをとり続け、御来光に向かって思わず拝まずにはいられませんでした。

今年の年始に、21世紀最初の日の出を拝もうと霊峰宮島弥山に登りましたが、
あいにくの曇りで、結局御来光は拝めなかったのもあって、
喜びは一汐でした。
オレンジ色から金色に空が変わり、海に映った朝日がキラキラと輝く様をしばらくみつめたあと、
気分良く下山。
下山途中に見た、森の木々の間から射し込む木漏れ日に照らし出されて、
木株から立ち上がった水蒸気がユラユラとたなびいて見える様も
今までに見たことのない風景で、またもや感動。
本当に二度とないくらいラッキーで素晴らしい御来光登山でした。
早起きをした甲斐がありました。

西大台ヶ原
 宿に帰って朝ご飯を食べたあと少し休んで、9時半過ぎに西大台ヶ原に出発。
こちらは東と違って自然のままの山道を歩くこととなるため、
入山届けをビジターセンターで行ってから、
登山道入り口にある大台教会(神道)で安全祈願をして
(みんな入山前にしていくようです)10時前に登山開始。

こちらも一週8km、4時間のコースと言われていますが、
私たちは7時間かかりました。
たぶん健脚の方には優しいコースなんでしょうが、
初心者の友達には昼食や途中の休憩も含めてこれが精一杯の時間だったと思います。
右のコースから周ると迷いやすいと本に書いてあったため、
左コースを選択。
川に沿った道アップダウンしながら熊の爪痕がやたら見られる木々の間を進み、
木橋を2つ渡り、タタラ力水を飲み、岩がゴロゴロ転がる歩きにくい下り坂を下ったところ
(赤い吊り橋あり)で一休憩。

ここでちょっと一息入れているとトチの実が頭上からボタボタ落ちてきてビックリ。
そして私たちの音に驚いた野生の鹿が一声あげて逃げていく音にまたビックリ。
その後も何度か鹿はみかけましたが、東大台の鹿と違って
やはり人間慣れしていないようで、逃げることはあっても近づいてくることはありませんでした。

吊り橋を2つ渡って、左の道をとると逆さ峠(川が逆さに流れているように見え
犬さえも迷うと言われ逆さ峠と名付けられている)に向い、
少し展望が開けるところがあるのでここで昼食(12時半過ぎ)。
丁度そこからは東大台ヶ原の絶景ポイント大蛇ぐらが見え、
その上に米粒ほどの人が上がっているのが見えました。

東と違って来る途中人に全く出会うことはなく、
初心者の友達だけを連れた私はちょっと心細く感じていましたが、
その展望地に着くと帽子とお茶が置いてあり、人が居るのかとホッと一安心。
でも待てど暮らせど人が帰ってくる気配はなく、どうも忘れ物だったようです。

東大台ヶ原の上のほうの雲の流れが速くなってきたので、
天気が変わるかもと言う不安と、行きだけで2時間半かかっているってことは
帰りも最低はそれだけかかるという思いからちょっとあせっている私を横目に
友達は西大台が原の自然を満喫。1時間程度休んで1時半過ぎに出発。
来た道より若干距離が長いぶん、帰りは3時間はみておいたほうがいいと考えて、
先を急ぎました。

小さな沢を2つ渡り、開拓跡地(昔ここで粟などを作ろうと開拓して結局失敗し、
跡地だけ残っている)を通り過ぎたところで少し大きな沢を渡ります。
ここは飛び石がしてあって、増水時には危険と言われているだけあって、
ちょっと渡りにくく、ロープが張ってありました。
先に私が行き、友達が渡るのを指示しているところで、友達が川にはまり、
背中から下半身は全部びしょ濡れ。
すぐに換えの服と靴下に着替えさせて(誰も居なかったのがここでは助かりました)
拭けるものは拭いて(靴の中は濡れたままでした)、
不要な時間を10分くらいとりましたが、再出発。

そのあとは苔むしたブナの原生林の中をしばらく歩き続け
(友達はここが気に入っていました)、
帰り道の中間地点、七ツ池湿原(ちなみに池ではありません)に到着(15時頃)。
ここまでの道が、霧が出ると迷いやすいと言われる道であったため、
内心ホッとして、しばし休んで、苔などを写真に撮ったりして長めの休憩。
それから少し行くと大台ドライブウェイの下をドライブウェイに沿うように走る道となるため、
頭上で車の音がして、何かあれば左に上がればいいと言う安心感で、
もうかなり帰ってきたつもりになっていましたが、

途中からまたドライブウェイから離れ始め、ここからが思ったより長くて、
道も見失いやすく、テープを頼りに歩き続けて、やっとナゴヤ谷に到着。
ここは初めて木々が全くない開けた場所で、
渓流のそばで、きれいな水を眺めがらまたもや休憩。
ここにはサンショウウオが居るとのことでしたが、みかけませんでした。
大台ヶ原開拓の先人で北海道探検でも知られる松浦武四郎の碑があって、
そこで手を合わせたあと、沢を渡って最後の上り坂に。

ここも思っていたより長く、暗い山道をひたすら上って最初の左右分岐点に到着。
この最後の山道の途中、突然後ろを歩いていた友達が、
声をひそめて私の名前を呼び、ある一点を凝視しているので、「どうしたの?」と問うと、
「あそこに黒い物体があって動いていた。熊のような気がする。」とのこと。
しばらく二人で辺りを伺いましたが、何か居るような気配はなく、
そのまま気にせず先を急ぎました。

分岐点から大台教会まではすぐで、結局ビジターセンターに到着したのは
16時半でした。帰り道はやはり3時間かかったことになります。
天気は最後まで崩れることはなく、霧がでることもなく、
迷わず帰ってこれてこれだけかかっているので、
もし迷っていたら…(実際わかりにくい道で、霧が出たり天気が悪かったら
迷っていたかもしれない)と思うと、無事帰って来れたことを感謝。
大台教会でお礼を言って、大台荘に。
その日の晩は、目的としていた全てのこと(東西の大台ヶ原制覇、御来光拝)を達成した
満足感で2人で乾杯。


最終日
 この日も朝から天気がよく、大台荘の周りに作ってある1周30分くらいの
苔探勝道を散策してまわって、大台教会そばの「たたら亭」で
鳥を観ながらコーヒーを飲んだあと、お土産を買って、
3泊した大台荘に別れを告げました。
大台荘の人に「ゆっくりしたお泊まりで、ありがとうございました。」と
お礼を言われ、一路奈良へ。
途中柿の葉寿司を買って、奈良で東大寺など少し観光をして、
19時頃姫路に到着。
その日は姫路に泊まって翌日広島に帰りました。
本当に充実した3泊4日の旅でした。

友達は今度は大台ヶ原よりももう少し北にある赤目四十八滝に行きたがっていますが、
これはまた来年の夏になるでしょう。