4月5日に登った武田山の早朝山行の報告をします。
この山は昨年の4月6日に登っているので、2回目になります。
気軽に登れる山は結構登り尽くしてしまったので、
今後は一度登った山に何度も登るというのが、増えるかもしれません。
武田山は、山麓が桜の名所ということもあるのですが、
安芸武田氏の銀山城趾でもあるということで、
最近山城歩きに興味を持っている私としては、
この山は、山MLでも紹介した、請川洋一著の
「イラスト 広島近郊の山城と史跡 ベスト33」にも紹介されており、
これを参考に登ってみました。
1年前の山行報告の一部を引用します。
> コアラです。早朝山行第二弾は、翌4月6日(土)に武田山に登りました。
>
> 武田山は太田川の右岸にあり(従って、コアラの官舎からは対岸に位置する)、
> 標高410.9mの城山です。
> この山は、宮島在住のイラストレターさんが書いている、
> 「イラストで登る広島の山へ行こう!」で紹介されている山です。
>
> 鎌倉時代末期に、安芸国守護武田氏(甲斐武田氏の先祖にあたる)が
> 山頂に典型的な山城である銀山(かなやま)城を築いた。
> 安芸国内の中世山城としては、最大級の規模を誇るものらしい。
> この城は、毛利元就によって落とされるまでは、難攻不落の城といわれていた。
> 今でも山頂には城郭が残されており、城マニアにはこたえられない山らしい。
>
> 子供が起きるまでには戻らないといけない早朝山行だったので、
> 車で山麓の憩いの森まで行き、そこから登山を開始した。
> ただし、山頂までのピストンだともったいないので、
> 「イラストで登る−−−」の本で紹介されている、
> 水越峠まで縦走して、立専寺(武田氏の菩提寺)のある山本まで下山する
> というコースをとることにした。
>
> しかしながら、水越峠からの下山路は、
> 本当に正しい道を下りたのかどうか不明である。
> というのは、鞍部まで来たら「山本方面」という看板があったが、
> 「水越峠」という看板はなかった。
> 半信半疑だったので、もうしばらく稜線を進んでみたが、
> もうだいぶ下りてきたので、結局先程の分岐が水越峠と判断して下山した。
> 本によると、途中に弓場跡、観音堂跡、馬場跡、櫓跡などの遺構がある
> となっているが、それらを見つけることはなかった。
> ひょっとしたら、違う道を下りてきたのかも知れない。
>
> 今回は火山には登れ無かったこともあり、今後火山より先の縦走をしてみたい。
> また、武田山も下山路の遺構等を見つけることが出来なかったので、
> 今度のこの付近の早朝山行をするときには、
> 下山路の方から武田山に再度登って、歴史山行を満喫したいと思っている。
というわけで、今回は前回間違えて下山できなかったコースを登って、
ピストンすることにした。(時間がないため、周回コースにはしなかった)
なお火山については、翌月の昨年5月にピストンで登っています。
●コースタイム
ため池手前(駐車地点)7:15−登山口7:20−馬場跡7:35
−観音堂跡7:45−武田山山頂7:50〜8:05−観音堂跡8:10
−馬場跡8:15−登山口8:25−ため池手前8:30
この登山口は、昨年5月に火山に登った時の登山口と
同じ車道から上がるのであるが、
登山口の近くにある小さなスペースには既に車が止まっており、
そのスペースを使って転回することが出来なかった。
仕方が無くその先まで凄く狭い車道を進み、
火山登山の時に車を止めたスペースで転回しようとしたが、
道が1年前よりも格段に悪くなっており、
しかも道が崩れていて、途中から進めなくなってしまった。
仕方が無く、ずっとバックで引き返すしか無くなってしまい、
駐車は、登山口のずっと下のため池より下あたりで道が広くなっており、
その付近に近所の車なんかが路上駐車されていたので、
そこに止めて、登山口まで歩いた。
この駐車場探しに30分以上かかってしまい、
それさえなければ、7時前には余裕で登山が出来たのであるが−−−
山道自体は展望のない道であるが、まだ葉が茂っていないこともあり、
所々火山やその南の丸山の姿を見ることが出来る。
それらの山腹の緑の中に所々薄い色の部分が見えるが、どうやら桜らしい。
武田山自体に桜があったかどうかは不明であるが、
登山道の一箇所のみ桜の花びらがやけに積もっているところがあった。
その付近で確認は出来なかったが、登山道の近くに桜の木があるみたいだ。
馬場跡というのは大変狭く、本当に馬場があったのかどうか疑問。
観音堂跡の直ぐ上で、武田山と火山を繋ぐ稜線に合流。
ここが前回の山行で道を間違えたところ。
確かにここに小さなテープで案内は書いてあり、
事実自分も前回この部分は気付いていた。
しかし、「イラストで登る−−−」の本では、
稜線との分岐は水越峠で、その場所は観音堂跡の下となっている。
従って前回は、ここは分岐点とは違う場所と判断してしまったようだ。
事実この地点は分岐点ではあるが、地形図の水越峠とは違う場所で、
本当の水越峠は、火山への稜線をもっと下に下りたところにある。
前回自分が間違えて下りた鞍部が、地形図上の水越峠である。
従って、「イラストで登る−−−」の本は、
稜線から分岐する地点を水越峠でないのに水越峠とした間違いと、
その地点が観音堂跡より上の地点なのに下の地点とした、
2重の誤りをしているようだ。
今回は山頂では余りゆっくりはしなかったが、
「イラスト 広島近郊の山城と史跡 ベスト33」を持って上がったので、
色々と山頂に残る銀山城趾の遺跡を見学した。
天気が良く、山頂からは太田川のデルタに乗る広島市街を遠望できる。