武田山早朝山行報告(byコアラ)

コアラです。早朝山行第二弾は、翌4月6日(土)に武田山に登りました。
武田山は初登頂なので、少し詳しく報告します。

武田山は太田川の右岸にあり(従って、小荒井の官舎からは対岸に位置する)、
標高410.9mの城山です。
この山は、宮島在住のイラストレターさんが書いている、
「イラストで登る広島の山へ行こう!」で紹介されている山です。

鎌倉時代末期に、安芸国守護武田氏(甲斐武田氏の先祖にあたる)が
山頂に典型的な山城である銀山(かなやま)城を築いた。
安芸国内の中世山城としては、最大級の規模を誇るものらしい。
この城は、毛利元就によって落とされるまでは、難攻不落の城といわれていた。
今でも山頂には城郭が残されており、城マニアにはこたえられない山らしい。

広島の山の本などには、火山や大茶臼山までの縦走コースなど、
JR可部線やバスなどの公共交通機関を使ったルートが紹介されている。
丸一日使ったハイキングならこれでも良いが、
子供が起きるまでには戻らないといけない早朝山行だったので、
車で山麓の憩いの森まで行き、そこから登山を開始した。
ただし、山頂までのピストンだともったいないので、
「イラストで登る−−−」の本で紹介されている、
水越峠まで縦走して、立専寺(武田氏の菩提寺)のある山本まで下山する
というコースをとることにした。
紹介コースは、山本からJR安芸長束駅まで歩くことになっているが、
今回は下山口から山麓をトラバーして、憩いの森まで戻った。

●コースタイム
憩いの森6:45−馬返し7:00〜05−御門跡7:15
−武田山山頂7:30〜8:00−水越峠8:15
−下山口(車道)8:25−憩いの森8:50

憩いの森は、葉桜になりかかっているとはいえ、満開の桜が綺麗であった。
人知れぬ桜の名所である。
ただし、やたらマムシ注意の看板があるのが気になった。
憩いの森の最奥部から登山道が始まっている。
雑木林の中の全く展望の無い道である。
所々急になっている所があり、ロープが張ってあったりする。
馬返しは、下から食料等を馬で運び、ここから先の城内への道がは険しいので、
ここで馬を返したところである。
御門跡とよばれる大きな石が残っているコース中腹の郭跡で、
初めて展望が得られる。
ここで通路を直角、すなわち鉤の手に曲げているが、
近世城郭の「桝形」の原形といわれており、貴重な史跡らしい。

山頂は山城があっただけあって、平で広い。
山頂に30分いたことになっているが、単に休んでいたわけでなく、
写真を撮ったり、遺構を見ていたりしたら、
あっという間に時間が経ってしまったのである。
しかも下山口の案内が全く山頂にないので、困ってしまった。
最初遺構沿いに歩いていてそのまま下山してしまったが、
方向から見て変だと思い、山頂まで引き返し、
周りの地形等とよく見比べて、水越峠への縦走路を判断して下山した。
それにも5分程度、よけいな時間を使ってしまった。
公共交通機関を使っての山行なら、間違えた道を下りても、
結果として何処かの山里に降りれればどうにかなるが、
今回は中腹の憩いの森に車を止めたので、
全く山の反対側に下りてしまったら、その後のフォローが大変である。

稜線沿いは、ツツジが満開であり、
ピンクの色添いを楽しみながらの、心地よい稜線漫遊であった。
しかしながら、水越峠からの下山路は、
本当に正しい道を下りたのかどうか不明である。
というのは、鞍部まで来たら「山本方面」という看板があったが、
「水越峠」という看板はなかった。
半信半疑だったので、もうしばらく稜線を進んでみたが、
もうだいぶ下りてきたので、結局先程の分岐が水越峠と判断して下山した。
本によると、途中に弓場跡、観音堂跡、馬場跡、櫓跡などの遺構がある
となっているが、それらを見つけることはなかった。
ひょっとしたら、違う道を下りてきたのかも知れない。
その南西側は、大規模な宅地造成をしており、山が削られていた。
登山道等も、変わってしまったのかも知れない。

今回は火山には登れ無かったこともあり、今後火山より先の縦走をしてみたい。
また、武田山も下山路の遺構等を見つけることが出来なかったので、
今度のこの付近の早朝山行をするときには、
下山路の方から武田山に再度登って、歴史山行を満喫したいと思っている。