猿の報告

<マゾッコメグの報告>

 マゾッコメグです。

 7月20,21日の1泊2日で、木曽御嶽に行ってきましたので、
報告します。

 今回の参加者は、
(男性)メグ、猿、フリッシュ
の計3人。
コアラさんが妙高・火打の方に行ってしまったので、
人数が揃うかどうかの不安はあったが、3人なら十分企画が成立するので、
まずは良かった。
マルのドタキャンがあったが、猿さんのドタ参加がほぼ同時だったので、
参加希望者の人数は3人のまま変化はなかった。
男性ばかりとなってしまったが、今回のメンバーは
(マルのドタキャンもあって)かなりの実力者が揃った。

<7月20日(金)>つくば−荒川沖−日暮里−新宿−塩尻−木曽福島
−御嶽ロープウェイ−飯森−七合目−八合目−三ノ池−飛騨頂上五の池小屋
−継子岳−飛騨頂上五の池小屋

 AM5:10頃、つくばセンターでフリッシュさんと待ち合わせ、
私の車で荒川沖へ出た。
荒川沖5:50発の常磐線に乗り、日暮里で山手線に乗り換え、
新宿には7:20頃到着。
8:00発の「スーパーあずさ3号」には余裕で座れると思いきや、
恐ろしいことに既にホームは長蛇の列。
「スーパーあずさ3号」には何とか乗れたが、当然の如く、座れなかった。
三連休だからある程度は予想したが、ここまでとは・・・

 八王子で猿さんが乗って来た筈だが、いかんせんメチャ混みなので、
乗って来たかどうか、分からなかった。
座れたのは小淵沢を過ぎてからで、猿さんと本当に合流できたのは、
塩尻でスーパーあずさを降りてからだった。
塩尻着は10:28。

 塩尻で10:51発の「ワイドビューしなの8号」に乗り換え、
木曽福島には11:18到着。
11:35発のバスまで少し時間があったので、
猿さんが昼食になるものを探しに駅の近くを散策したところ、
弁当屋があったが、弁当が出来るまで15分かかると言われ、断念した。
しかしまあ、弁当を作るのに15分もかかるとは、ちょっと信じられない。
田舎だからのんびりしてるんだろうか・・・?

 私事だが、木曽路は私が大学に入った14年前の夏に友人と来ている。
この時は塩尻の近くの日出塩で電車を降りて、
中津川まで4日かけて歩いているが、途中この木曽福島で1泊している。
そのようなこともあって、木曽路には思い出があり、懐かしさもあった。
 残念ながら、その時泊まった木曽福島の民宿の名前は忘れてしまった。
またその時一緒だった友人も今回の山行に誘ったが、
あいにく都合がつかず、参加できなかった。

 11:35発のバスに乗り、
御岳ロープウェイのバス停にはPM12:30に到着。
バスは意外なほど空いており、また途中は石碑や石像が立ち並ぶ場所が多く、
早くも信仰の山の雰囲気を出していた。

 買って来たおにぎりやパンなどをロープウェイの車中で食べて、
それが昼食になった。
ロープウェイの上の駅・飯森駅は標高2150mで、展望台が近くにあった。
そこからの眺めも素晴らしかったが、御嶽の山頂は雲に邪魔され、
今イチ良く見えなかった。

 飯森を1:10頃出発し、程なく七合目行場山荘へ到着。
縁側の戸が全て開いた状態で、
中がよく見える造りになっていたのが印象的だった
(木曽御嶽の山小屋はこういう構造のものが多い)。
近くに小さな神社があり、ここでも信仰色が強く出ていた。

 八合目の女人堂には2:00到着。
コースタイム1時間20分のところを50分で来てしまった。
やっぱりこのメンバーは強力だ。
しかし自分は猿さん・フリッシュさんについて行くのが精一杯だった。
他の参加者がみんな自分以上の実力者というのは
実は結構しんどいものだと思ったが、
こんなのは去年6月の四阿山以来じゃないだろうか。
 女人堂のすぐ近くに霊神碑がたくさん建っていたが、
この辺から上は森林限界で高い木もなかったので、山頂が同じ視界に入り、
独特な風景を成していた。

 15分休憩して、女人堂を出発。
剣ヶ峰の方ではなく、三ノ池の方に向かった。
ここからの眺めは、下を見ると緑の中に立ち枯れた白い木が並び、
遠くには開田高原の雄大な景色が拝めた。
また前方には山腹の雪渓が見えた。
この季節に雪を見るとは思わなかったので、結構感動した。



また途中でその雪渓を横切ったり、雪が溶けた沢を横断したりと、
かなりバラエティに富んでいた。
当初岩だらけの道を歩くものと思っていたので、意外だったと同時に感動した。
あと木曽御嶽の登山道は、全体的に良く整備されていた。

 三ノ池には3:30に到着。
結構大きな池だった。
またここに避難小屋があったが、かなり粗末なものだった。
この小屋の中で休んでいた修験者と話ができたが、
結構長い距離を歩いて来たようだった
(どこから来たと言ってたか、忘れてしまった)。
今回の山行では、信仰の山らしく白装束を着て木の杖を持った
修験者にたくさん会ったが、ちょっと話した感じでは普通の人だった。
でもこういう人は普段どういう仕事をしてるんだろう?
 またここで、猿さんの右の登山靴の裏が
踵から剥がれかかっていることが分かった。
取り敢えず紐で縛ってこれ以上剥がれないようにしたが、
あまり無理な歩行は出来ないのだろうかと心配になった。



 飛騨頂上五の池小屋には4:05に着いた。
五ノ池のそばにあるこの小屋は最近建て替えたらしく、結構綺麗だった。
玄関を入ってすぐの所が畳敷きの食堂になっており、
何故かテーブルが低かった。
我々はベッドの2階で寝ることになったので、早速荷物を置いた。
宿泊者は30〜40人だったが、幸い狭く感じるほど多くはなかった。
トイレも結構綺麗だった。
ここのトイレは年1、2回、ヘリコプターで汚物を運び出しているらしい
(運んでいる時に漏れたらどうするんだろう?)。
 ちなみに五ノ池は水も少なく、水溜りのようだった。
水の多い時期だったら、もうちょっと見映えもするのだろうか。

 夕食まで時間もあったので、荷物を置いた後、継子岳まで行くことにした。
当初継子岳まで行く予定はなかったのだが、
健脚揃いだから思い切って行くことにしたのだ。
五の池小屋の裏に神社や石像などがあり、
それを見ていて時間を取られたせいもあるのだろうが、
コースタイムでは30分で着く筈の継子岳は思ったよりも遠かった。



実際途中で、
「もう山頂を過ぎてしまったのではないか?」
と思った位だった。

 継子岳山頂は手で持てる小さな山頂の標識があり、
ドームのような形の神社があった。
ドームの壁はかなりボロボロになっていて、
さながら原爆ドームのようであった。
平たい石を積み重ねた講社もあり、
ここでも信仰の山という雰囲気を出していた。
継子岳から見た飛騨頂上や四ノ池の眺めも素晴らしかった。



四ノ池は名前は「池」だが、
実際には川は流れているものの池はなさそうだった。

 五の池小屋には5:40頃戻った。
夕食は人数の関係で2回に分けることになったが、
夕食後に食堂に残って飲みモードに入りたいので、
後の方で食べることにした。
それで夕食は7時頃からとなった。
それまでに夕陽を見ておこうと思ったが、雲が出ていて今イチだった。
 夕食は質はまあまあだが、量はちょっと少ない気がした。
食後の飲みモードではビールの他、
ワインや日本酒(いずれも紙パック)も入り、結構盛り上がった。
ただしこのメンバーでは下ネタ話は出なかった。

 8:40頃には眠りに着いた。

<7月21日(土)>飛騨頂上五の池小屋−摩利支天山−サイノ河原−二ノ池
−剣ヶ峰−王滝頂上−王滝奥の院−九合目−八合目−田の原−うしげの湯
−木曽福島−塩尻−小淵沢−甲府−高尾−神田−上野−荒川沖−つくば

 途中で何回も目を覚ましたが、最終的にはAM4:00起きた。
寝た時間が早かったから、それでも十分寝たと言えるだろう。

 日の出は5:00頃だったが、雲が出ていて今イチだった。
でも日が昇るにつれて周囲が黄金色に染まっていく光景は幻想的であった。



 朝食は5:25から。
朝食は6時からとか6時半からとか聞いていたから、予想外に早かった訳だが、
そのお陰で5:50には出発できた。
なお朝食も夕食同様、今イチの感があった。

 摩利支天山に向かう道は最初かなり急だったが、
途中から比較的平坦になった。
途中で雷鳥の親子に遭遇し、感動して写真を撮りまくった。
 摩利支天山頂には6:30到着。
山頂の標識は小さな白い柱が立っているだけで、
字も読みにくい粗末なものだったが、ここからの眺めは正に絶景だった。

 サイノ河原を経由して二ノ池へ。
樹林が殆どないので、
サイノ河原避難小屋や二ノ池新館小屋が遠くからでも見えた。
サイノ河原には多数のケルンが存在し、避難小屋の前には神社もあり、
多くの修験者とすれ違った。
 二ノ池新館小屋には7:25到着。
ここでトイレを借りに中に入ったら、偶然風呂場も目撃。
木曽御嶽の山小屋には温泉に入れる所が多いと聞いたが
(五の池小屋は入れないが)、やはりここでは石鹸は使えないらしい。
また小屋の中の至る所に宗教じみた布が貼ってあったのが印象的だった。

 二ノ池のほとりにある二ノ池小屋を経由して、剣ヶ峰へ。
二ノ池はそれ程大きくはなかったが、遠くから見ると綺麗なブルーであった。
剣ヶ峰到着は8:05。
すぐ下に御嶽頂上山荘、剣ヶ峰旭館といった山小屋があった。
山頂には御嶽神社があり、人がたくさんいたが、
30人程の修験者がみんなでお祈りしている光景が独特で、
確かにこれまでの山行とは雰囲気が全く違った。
また神社の裏からは一ノ池や噴火口なども望めたが、
これもまた凄い眺めだった。



なお一ノ池も名前は「池」だが、
荒涼たる地面に苔のような緑が点在しているというものであった。

 剣ヶ峰の標高は3067mで、メグにとって木曽御嶽は
乗鞍岳・聖岳に次ぐ3つ目の標高3000m以上の山となるが、
標高では自己最高の山である。

 剣ヶ峰を8:35に出発し、王滝頂上を経由して奥の院へ向かった。
木曽御嶽には継子岳・飛騨頂上・摩利支天山・継母岳・剣ヶ峰・王滝頂上の
6つの峰があるが、
今回立ち入り禁止の継母岳を除く5つの峰に登頂できた訳だから、
かなり内容の濃い山行だったと言えるだろう。
これも今回の参加者が健脚揃いだったからできたことで、
その点でも良かったと思う。
 ちなみに池も、一ノ池から六ノ池まであるが、
どこにあるのか分からなかった六ノ池以外は全部行けた
(もしくは見ることができた)。
 奥の院には9:15到着。
ここからちょっと登った岩の上からは噴火口の眺めが素晴らしかった。

 ここからはひたすら田の原まで下った。
登って来る登山者とすれ違うことや、下りの登山者を追い抜いたりするので、
思ったようなペースでは歩けない時もあったが、まあまあいいペースで歩けた。
途中、九合目避難小屋や八合目避難小屋を経由したが、
どちらも石で囲まれたもので、さほど大きくなく、
ここで宿泊するのはかなり辛いだろうと思った。
 途中でとうとう猿さんの靴の裏が全部剥がれてしまい、
右足だけ滑りやすくなってしまった。
ステッキは持っていたので、それを使って何とか歩けたようだったが、
もしこれが山の経験の浅い人だったら大怪我につながる可能性もあったろう。
 田の原には10:55頃着いた。
猿さんはここの売店でサンダルを買った。

 11:25発のバスで「うしげの湯」まで行った。
当初12:40発のバスで帰るようかなと考えていたので、
こんなに早く帰れるとは予想外だった。
また「うしげの湯」はシーズン中のみの臨時バス停が近くにあった。
到着はPM12:03頃。
 「うしげの湯」は規模はそれ程大きくはなかったが、
内風呂の他、露天風呂もあり、まあまあ良かった。
露天風呂の外が駐車場なのは興醒めだったが。
飲める温泉もあったが、鉄分が多いのか、しょっぱいような苦いような、
不思議な味だった。

 ここで昼食兼打ち上げをしようかと思ったのだが、
実はここには食堂がないことを知って、愕然。
仕方ないから1:18発のバスで木曽福島まで行って、
そこで食事にすることにした。

 木曽福島には2:04到着。
駅前のとある食堂に入って、食事兼打ち上げとした。
しかしこの店、料理はセコイし、食器もちゃんと洗ってんのか?
と言いたくなるような代物。
雲取の時もそうだが、どうも最近、店運が悪いようだ。
ただ、料理がすぐ出てきたのと、勘定の時少しまけてくれた点は評価したい。

 木曽福島3:23発の「ワイドビューしなの21号」で塩尻に出た。
過去の経験からして、
帰りの中央線特急はメチャ混みで座れないことばっかりだったから、
今回は普通列車を乗り継いで帰ろうと決めていたので、
3:53発の小淵沢行き普通列車に乗ることにした。
しなの21号が遅れたため乗り換え時間がギリギリだったのだが、
塩尻でなかなか普通列車が来ないので、
もしかしてもう行ってしまったのではないかと心配したが、
実は普通列車も12分遅れていたのだった。

 そんな訳で小淵沢行きの普通列車に乗り、小淵沢で甲府行き、
甲府で高尾行きの普通列車に乗り換えた。
途中で4,5回、特急列車に抜かれた。
抜いた特急列車を見ると意外と空いていたので、
もし塩尻から特急に乗っていたら座れたのではないか?とも思った。
まあ翌日休みだし、特急料金を浮かせることもできたから、いいか?
とにかく座れたお陰で車内で寝ることもでき、
だいぶ疲れは取れたような気がした。

 高尾には7:41に到着。
7:46高尾発の特別快速に乗り換え、猿さんが国分寺で、
私とフリッシュさんが神田で降りた。
京浜東北線で上野へ出て、上野9:03発の常磐線に乗り、
荒川沖には10:04到着。
私の車でフリッシュさんを自宅前まで送り、
自分が自宅に着いたのは10:35頃。
疲れはそれ程なかったと思うが、
翌日は洗濯やら、この報告文を書くのやらで、一日が潰れた。
三連休に1泊の山行というのが、実は丁度いいのかも知れない。

 今回は天候にも比較的恵まれたし、
木曽御嶽の見るべき所を殆ど見ることもできたし、
実に密度の濃い山行となった。
現段階では今年No.1の山行だろう。
猿さん、フリッシュさん、お世話になりました。
8月には月山に行く計画を立てておりますので、
今回参加できなかった人も是非ご参加下さい。
猿さんもこれに懲りず、また来て下さい。