岡山大学新聞 通刊238号 1978年9月30日発行

レコード評

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

RSO NWA9101-22

エアロスミスのしたたかさ

 このアルバムは映画「サージェントペパーズロンリーハーツクラプバンド」のサントラ盤。映画の制作者は「サタディナイトフィーバー」「グリース」で再び脚光をあびたロバートスティグウッドでこの映画も前のふたつと同じ路線上なのです。(前評判では、かなり質の落ちる内容だそうだけど何分見ていない者は何も言えず…)その辺をまず頭に入れてもらえばいかにも五目たきこみご飯といったこのアルバムもすんなりとわかってもらえるはず。
 ご存知ビートルズナンバ−を名の知れたアーティストたちがアレンジして聞かせてくれます。中心メンバーは「サタデイナイト…」でこのところ笑いのとまらないといった感じのビージーズに、天下のピーターフランプトン。その他、アースウィンド&ファイヤー、エアロスミス、アリスクーパーと多彩な顔ぶれ。まそれなりに個性は出てるし聞いて損になるアルバムではないようです。
 それにつけても、改めてビートルズというグループについて考えてしまう。「ビートルズ世代」なる言葉がある。あっさりと使われる言葉だけに、ばくにとっては驚異だ。ビートルズだけを媒介にしていとも簡単に横のつながりを認識できる人たちの存在。ビートルズがそれだけすばらしかったと言えばそれまでだが、ゼネレーションの意識さえつかもうにもつかめないばくたちにとって彼らは全く辛せな人たちだ。たとえ幻だったにせよ、「ビートルズ世代」という言葉の中にある連帯感はばくたちの生活の中にはなくなってしまった。ビートルズ以後のロックは狭い場所(これは具体的なことではない)を好んだ。今のばくたちにとってロックは密閉された空間でひとりひとりの体をつきぬけていく音なのだ。個人のかかわり方が能動的(プレーヤー)にしろ受動的(リスナー)にしろ、個人個人の自己陶酔でしかない。そしてばくたちは、そのことに気づこうともせずおのれ自身に埋没して満足している。
 このアルバムだってそういった悪しき状況をうちやぶるものではない(実際、うちやぶっていくのは個人でしかないんだから)けれど、かといって世界にはばたくスーパーヒーローなんて輩は出てきてほしくない(ヒーローほどキナ臭いのはないんだからね)フランブトンは毒にも薬にもならないから問題外。たった一曲しかやってないが、エアロスミスの弾く硬い音は聞きもの。彼らの最新盤「ドローザライン」の出来からしても彼らのしたたかさが何らかの可能性を示しているのは確か。ビートルズとは全く違う方向になるかもしれないけれど、彼らもひとつの世代を背にするかもしれません。(M)


[ BACK ]