岡山大学新聞 通刊238号 1978年9月30日発行
7・28 伝習館訴訟一審判決におもう
石井 理弘
教育(権)とは何なのか
単位奴隷としての私達への問題提起
★夜行列車を降りると博多駅周辺はまだ人通りの少い午前六時過ぎ。とりあえず顔を洗って頭をすっきりさせようと洗面所に行く。やけに”使用禁止”の札が目につく。水洗便所もそのほとんどが”使用禁止”まず、なんだろうと思い、ようやく先日新聞で見た北九州の水不足の記事を思い出し、実感することになる。
柳川市での前段集会を経て、午後二時の福岡地裁での判決言い渡しへ。まもなく、法廷内に入りきれず裁判所内の空地で待機していた私達に判決主文が届けられた。「半田・山口両氏への懲戒免職処分は取り消し、茅嶋氏については請求、申立て棄却……」二人勝訴一人敗訴(?)質的に同じことをしたはずの三人がなぜ分離されなければならないのか。
★伝習館訴訟は、70年6月、福岡県教育委員会が、伝習館高校の社会科教諭茅嶋・半田・山口の三氏を懲戒免職し、これに対して三氏が処分取り消しと処分の執行停止を求めて提訴したことにはじまる。処分理由は、(1)三教諭とも学習指導要領逸脱(社会主義社会の階級闘争、ベトナム戦争などを授業で偏向的にあつかった)(2)三教諭とも教科書不使用(3)茅嶋・山口両教諭は所定の考査を実施せず、一律評価を行なった(4)半田教諭は出席しない生徒をしばしば放任した(5)茅嶋教諭は学校新聞等に現体制を否定するなどの特定思想の鼓吹を図った……等々。公判では特に学習指導要領の法的拘束力(偏両教育云々)、教科書使用義務、処分手続きの問題などを焦点としてあらそわれた。
この間、福岡教組は「三人の教育実践は教師集団で確認されたものではなかった。」として組織としての支援はせず、日教組もその方針を迫認するかたちをとってきた。そのため三教師の支援闘争は伝習館救援会の手でおこなわれたが、現場の教師へさまざまなかたちで問題をなげかけてきた。
★「学習指導要領」は「訓示規定であって、これが直ちに法的拘束力を持つと解するのは相当でない。」「教科書の教え方、他の教材との比重関係は、教師に委ねられている。」……「判決理由要旨」は一見、教育現場における教師の自由を認め国の公教育への介入に制限を加えているといったように読みとれる。だが、その内実はどうか。何よりもまずそういった判断を導きだすためにはそもそも教育(権)とは何なのか、教育制度とは何なのかといった問題がとらえられなければならないはずなのだが、判決は中身の問題をさけて木梢的な法解釈に終止する。そうしておいて、伝習館闘争の支援者には二人は救ってやった、県教委に対しては中心になってやってる一人については処分を認めた、という風に政治的なかけひきを行う。だから、”偏向教育”についての判断はさけながら、しかも茅嶋氏ひとりの処分は認めるというその根拠は、結局のところ「社会通念」(なんのこっちゃ)という言葉に尽きてしまわざるを得ないのである。もとより、伝習館三教師はその「社会通念」に挑んでいるのに、これでは”学習指導要領は訓示規定でしかないが、社会通念上よろしくないと見られれば処分する理由ぐらいいつでも作れるョ”と言っているようなものなのだ。とにかくはぐらかされたような気持ちがいつまでも残る判決だといえる。
★伝習館闘争は直接的には教師のたたかいであり支援者も現場教師が中心だ。だが彼らは決して、教師の教育権対国家の教育権という問題におしとどめてしまおうとはせず絶えず生徒との関係に挑むのである。教師は教えるものであって生徒は教えられることによって高められるものであると固定する人々には教育闘争の要としての伝習館闘争は視えてはこない。そしてそれは、現在大学においてその生活を”単位”というキーワードによってからめ取られてしまっている単位奴隷としての私達への問題提起に他ならないのである。だから、私たちが伝習館闘争を考えるということは単にそれを学習するというだけではなく、私達が疑間に思うところから”教育(制度)大学”に挑んでゆく、その実践を開始することだといえるだろう。
(いしいまさひろ氏は教育学部現代教育研究会代表)
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