岡山大学新聞再刊1号(通刊236号)1978年4月30日

旅情無情

四国路を訪ねて  高野京太郎

《四国へ》旅について。哲学的な考察は、多い。本気で考えると絶望感に陥る。「族」とは旅なのである。まさにそれだ。旅の過程では全てが「旅」なのであり考えることは「旅」の範囲にはない。
 高松という街は、「四国の玄関口」らしく、虚飾の街である。連絡船で着いた高松駅からその景観は始まる。そこから琴電の電車かバスに乗り、概ね一〇分程すると、栗林公園に着く。
 天下三名園という。岡山にはそのひとつ、後楽園がある。比較など無意味かも知れぬ。しかし、記者の目から見て、密度という点において栗林の方が勝る。というより生々しい。後楽園のあの芝と池の空間は繊細すぎる。栗林はその点疲れない。それだけ素朴なのだろう。
 栗林は見る者に親切である。何でも望まず与えてくれる。後楽園は、まず見る者を巨大な空間で断絶してしまう。栗林は山を背にして活きる。後楽園はその点孤独な空間である。
 どちらが良いとも言えぬ。ただ栗林は、人の感性を適切に満たしてくれ、無難である。だが後楽園は理性に訴えるのか、評価は分れる。いずれも藩主の庭園。目的は同じ。しかし、そう言った景観の差異が生じるのは多かれ少なかれその地域性の反映だろうか。
 急行に乗る為高松駅に戻る。発車にまだ時間がある。ふっと気付いたのが玉藻公園。高松城跡。海水を掘に引き入れた水城。入場料は二〇円。天守は現存しない。戦闘主限の城とも思えないが、入場券の裏側の縄張りを見ると充分に機能的であることが分る。もっともそれは時代の中でのこと。今は静かな、人影の少ない公園である。この城の生き方にふさわしい。月見(着見)橋から築港が見える。潮の香。そこに時代を超えて海が存在する。史跡を訪れる度に感じる時代というものを、ここにも見出すことが出来る。
 山越えの土讃線は思わぬ感慨を呼ぶ。特に長いトンネルを抜け、箸蔵駅を過ぎてからは車窓に注意。まず「四国太郎」吉野川。巨大な河床と漠大な水流。季節なら、満々たる水の稲々と流れるその偉容は圧巻だろう。さらに南下すると、流域は狭まりつつ小歩危・大歩危の景観が現われてくる。断続的なトンネルの合い間から見えつ隠れつ、かなりの時間旅行者の目を楽しませる。時間が好ければ日光が差し込み。ペイルグリーンの鮮かな水面が輝いて眩しい。最後のトンネルを抜けると高知市街が見下せる。
《高知へ》翌朝。七時に宿を出る。族は早め早めが良い。シーズンやアワーをずらせば、便は悪いが旅の日常(逆説的な意味で)を脱することが出来る。旅行者にとっては、土地の人の日常が非日常性の要素となるのである。
 高知城は県庁の裏である。山内家の居城。平山城。天守からの眺望は夜が最高だろうが夜は入れぬ。不夜城ではない。建物等の保存状態は極めて良好。また、どの方向から眺めても素晴らしく、カメラアングルに恵まれている。
 城は女性である。どうやら私もこの城に恋してしまいそうだ。
 はりまや橋から土佐電バスに乗っておよそ一時間。竜河洞に着く。出口近くに弥生人の住居跡があるのは有名である。その住居跡でどんな生活が営なまれたのであろうか。そこで生命が育まれ、世代が育まれていたのだろう。まさに母に抱かれるごとくである。そして、おぼろに影を映す照明、洞内を伝う水流、それが低くうなりを生じる。物みな全てが孤独な人間をエクスタシーへと誘う。旅ふした様に、只、眺める。それもかく言う記者こそがロマンティストだからだろか。団体客が入ってきたりすると、先ほどまでの恍惚は固さに変わる。痛さと言ってもよい。犯された処女の様に、息を殺して肌を固くしてしまう。気が付くとただの洞窟である。それはつまらないものになってしまった。
 竜河洞からはりまや橋に戻り、更に桂浜行きのバスに乗り込む。朝が早いとこういう離れ技も可能である。接続はいい。
 その日は昼から低気圧の接近員。激しい風に砂としぶきが散っていた。海は猛り狂っている。怒りとなって打ち寄せる波。岩に砕け、満身にそれを表わす波。全く人を寄せつけぬ。
 桂浜の日常は極めて穏やかである。以前はまさにそれで記者は失望したが、今は違う。激しい。

非日常性の発見

《足摺へ》その日は中村に宿を取る。折りからの低気圧で、昼から荒れ模様であり、夜に入ってからは強風と波浪。窓枠のきしみが耳につく。
 翌日、台風一過の如く快晴。中村から急行バスで一時間半。足擢に着く。波はやはり荒い。海と空の青が頂け散る波の白が目にしみる。突端まで遊歩道が付いている。展望所に立ち強風に身を委ねる。それがなんとも快い。
 足擢を後に、竜串・見残しに向かう。波が荒い。海底のパノラマは見えず。それでも奇岩と波しぶきの繊りなす情景と潮騒のシソフォニーは、私たちを酔わせるのに充分であった。そして、竜串の侵蝕砂岩帯。その潮溜りにアメフラシの親子を見つける。生命は生命を育む。実感である。大なるものは小なるものを、静は動を、光は影をその中にはらんでいる。
 私の旅もここで終り経りである。意識のうえで窮め尽くせば、既に日常へと戻るしかなくなってしまう。
 私は旅をその非常性の中で定着したかったのだ。
(文化財愛好会名誉会員)     高野京太郎


[ BACK ]