東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20080501/CK2008050102007965.html?ref=rank
『山に行くなと言えず』東大スキー山岳部新井さん遭難死 遺族ら肩落とす 高崎で告別式
2008年5月1日
長野県大町市の北アルプスで遭難死した東大スキー山岳部監督・新井裕己さん(32)=高崎市九蔵町=の告別式が三十日、高崎市内の葬儀場で営まれた。二十九日の通夜と合わせ、五百人以上が突然の死を悼んだ。
新井さんは多くの初滑降記録を持つ山岳スキーの第一人者。日本山岳協会委員も務め、著作や雑誌連載にファンも多い。写真家の父真一さん(61)は
「山もスキーも私が教えたので『行くな』とは言えなかった」と肩を落とし、母礼子さん(58)は「二十日ごろ『出掛ける』と、いつも通りに家を出た。過去
にけがもあり、行くたびに心配だった」と言葉少なだった。
山仲間で、遭難現場の山頂近くから遺品を持ち帰った東京都の会社員天野和明さん(31)ら三人は「滑りや登山に真剣に取り組む姿を尊敬していた。現場は本人の技量からすれば、問題ない場所と思えたが…」と惜しんだ。 (菅原洋)
こちらは朝日新聞群馬版
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000000805010001
山岳スキーの新井さん葬儀
2008年05月01日
急斜面を滑降する山岳スキーの第一人者、新井裕己さん(享年32)の葬儀・告別式が30日、高崎市内であった。今後も活躍が期待されていただけに、突然の死を山岳スキー関係者や高校時代の友人ら約200人が惜しんだ。
新井さんは先月28日、長野・富山県境の北アルプス・五竜岳(2814メートル)山頂から約300メートル下の斜面で遺体で見つかった。地元の警察によると、滑走中に滑落したと見られている。
東大大学院在学中の02年4月に北アルプス・鹿島槍ケ岳(2889メートル)の斜度約50度、高度差約650メートルの北壁に挑み、初めて成功した。東大スキー山岳部の監督も務めていた。
告別式では、東大スキー山岳部の先輩、関根匡さんが「信じられない。アスリートとしてピークは35歳と言っていたのに、まだやりたいこと
があっただろう」。高崎高校山岳部の同級生天田慎一さんは、高校時代の呼び名「新井ちゃん」と呼びかけ、「山に詳しく、とことん努力する姿を尊敬してい
た」と声を詰まらせた。
新井さんは、山やスキーが好きな父真一さん(61)に連れられて5歳ごろから山登りを始めた。昨年春に大学の研究室を辞め、「山とスキーに生きる」と話していたという。真一さんは「残念。もったいない」と早すぎる死を悔やんだ。