甚川さんとは、たぶんD-One(全国デジタルオープンネットワーク協同組合)でお会いしたのが最初だと思う。彼は調査や研修といった業務が主で、仕事のからみは無かったけれど、エルデのオフィスから新宿御苑ごしに神宮の花火を眺める会にはよく来ていただいてた。
やがてみんなの森で一緒に作業をするようになり、甚川さんはあきる野市養沢に移転。もともと古武道などをやっていた関係か、調査・探偵は現代の忍者だということなのか、忍術の研究に打ち込むようになり、野人流忍術の開祖となった。ここでは「岩登り術」という課程もあり、何度かお手伝いをしている。この野忍修業でいつからか甚川さんといつも一緒にいる女性、くノ一が気になった。どうやら彼女さんかと思っていたら、結婚しますと。
こうして初の忍者婚式が執り行われることになり、ぼくはカメラマンとしてお手伝いすることになった。式は日の出町にある武家屋敷で行われた。ここは明治時代に都内のお金持ちが山ごと買い取り、日本家屋を建てたり、茶室を建てたりした。今は知的障害者の施設「日の出太陽の家」がメインとなっているが、日本家屋には外国人観光客が長期滞在するなど、面白いスポットだ。太陽の家にはオウム真理教事件で犠牲となった坂本堤弁護士と妻の都子さんもボランティアとして参加したことがあり、二人を追悼する祠も建てられている。
9時半に武蔵五日市駅を出ると、駅前の奥多摩街道は東京国体自転車ロードレースのため閉鎖され、大混雑。神戸の岩場へ行くのにここを通ったわけだが、1日ずれていたら大変なことになっていた。
式自体は和式の人前婚。三三九度があり、脇差しの交換があり、誓いの言葉を述べて署名。ただ神主や巫女の代わりに忍者・くノ一が儀式を執り行い、最初にくノ一が九字を切り、指輪の交換の代わりに脇差しを交換するというのが忍者婚か。
誓いの言葉では、「お互いに相手に対して手裏剣は打ちません」とか、「二人で百名山を登ります」というのもあり、甚川さんらしい。
式のあとは武家屋敷の座敷に移動して披露宴。有美さんがハセツネのスタッフだったこと、二人の出会いがハセツネ関係のイベントだったこともあり、出席者にはハセツネの関係者、トレイルランナーが多い。最初に祝辞を述べたのはハセツネ実行委員長の宮路さん、そして乾杯の発声は長谷川恒男氏未亡人の長谷川真理さん。「日の出山を走ってやってきました」と、トレランスタイルそのままで出席している方もいるほど。
途中、ゲストによる舞・神楽・居合いが奉納された。舞と神楽はくノ一を務める千さんとしころさん。普段は覆面で顔を隠しているけれど、素顔はとてもきれいなお嬢さんだ。居合いは真剣を使い、筵をばっさり。なかなかの迫力だった。
式がお開きとなり、森の家近くにある山王公園で開かれる披露宴に移動。こちらはみんなの森メンバーによる完全手作りイベントだ。横断幕がかけられた林道をドレス姿にお色直しした新郎新婦が入場してくると、ライスシャワーならぬ粟稗のシャワーが参列者からかけられる。
古武術「武神館」による演武が行われたり、煙幕の中から忍者着にお色直しした新郎新婦が再登場して、日本刀を振りかざしてケーキ入刀ならぬチロルチョコが詰まった竹筒を切り倒す「入刀の儀」など、忍者婚らしい演出がちりばめられていた。そういえば出席者のほとんどは頭に八金を巻いている。
最後にみんなで長渕剛の「乾杯」を合唱してお開き。完全屋外だったので天気が心配だったけれど、いい天気だった。
浩志さん、有美さん、いつまでも仲良くお幸せに