今年の5月GWは1日から5日までが5連休。後半は天気が崩れるという予報だったので、前半に山行を計画した。
行先は、昨年5月の槍ケ岳山行で「来年こそは」と思った奧穂高で決まり。
ガイドブックを読むと槍ケ岳より難易度は高そうだが、これまでの雪山登山の成果を試して見たかった。
◎奧穂高岳山行報告
【目的地】奧穂高岳(3190m)
【日時】2004年5月1日(祝)~3日(祝)
【メンバー】猿単独
【コースタイム】
5月1日:上高地バスターミナル 0658 - 徳沢 08:22~08:38 -横尾 09:30~09:57 - 本谷橋 11:00~11:09 - 涸沢ヒュッテ 13:00
5月2日:涸沢ヒュッテ 05:40 - 白出乗越 07:50~08:00 - 奧穂高岳頂上 08:40~09:07 - 白出乗越 09:48~10:11 - 涸沢ヒュッテ 10:45~11:50 - 本谷橋 12:43 -横尾 13:40~14:00 - 徳沢園 14:48
5月3日:徳沢園 07:00 - 明神 07:35 - 河童橋 08:50
【写真集】 http://www.erde.co.jp/~masaru/trekking/okuho/
●30日にいきなり仕事
連休前に仕事を済ませ、30日は登山準備をしようと思っていたのだが、29日に電話でいきなり30日締め切りの作業が入ってしまった。しかも会社に行ってFAXを見るとほぼ全面改訂。
あわててとりかかり、なんとか夜までに仕上げてクライアントにメールで納品したのだが、予定は大幅にずれた。
使い捨てコンタクトレンズを買おうと思っていたのだが、時間的に無理。
あきらめていつもの眼鏡で行く。西口のICI石井スポーツに寄ってソックスとスパッツ、ピッケルベルトを購入。スパッツは去年、始めてアイゼンを履いたらあっという間にアイゼンの爪で切ってしまい、もうボロボロだった。今回はちょっと奮発して厚手のものにする。
ヨドバシカメラでポジフィルムを、国分寺駅前に本日オープンしたマルエツで食材を購入。
食事については夜はキムチ鍋、朝はラーメン、昼はパンなどとする。
帰宅してザックにいろいろ詰めて行くと、やっぱり満杯になってしまう。
1泊テント行で60リットルのザックが満杯になるのは、物が多すぎるのだろうか、それともパッキングが下手なのか。
結局、フィルムを買ったのに一眼レフはやめてデジカメのみとし、また先日購入したスノースコップも置いて行く。ウェアもオーバーパンツはやめにした。総重量は20kgぐらいか。
なんとか準備を済ませ、シャワーを浴びてぎりぎりに家を出る。
立川駅のホームでムーンライト信州81号を待つ。去年はすごい混雑で、慌てたが、今回はガラガラ。座席が半分も埋まってない。
缶ビールを開け、2人がけの席に横になって眠った。
●暖かな上高地
上高地バスターミナルは建て替え中だった。ここでお湯を沸かして卵スープとコンビニおにぎりの朝食。登山届けを投函して出発。
やはり今年は暖かいのではないだろうか。途中の道に蕗の薹がたくさん生えているのだが、去年よりも花が開いてしまっているようだ。徳沢から横尾の道にしても、雪がほとんどない。
横尾大橋につくと、去年はためいていた鯉ノボリがない。どうしたのかなと思っていたら山荘の人が上げ始めた。
ここでスパッツを着ける。小休止の後、横尾大橋を渡っていよいよ横尾谷へ向かう。しばらくは雪のない広々とした河原の道。左手には屏風岩が大迫力だ。
●涸沢テント場へ
やがて道は登りになり、雪も出て来る。
本谷出合からは完全な雪道。傾斜はそれほどきつくはないのだが、距離があり、かなり疲れて来る。みんな休みながら、だらだらと登っている。
前には小さな子どもを背負った家族連れもいる。
Sガレを過ぎ、右に曲がるとはるか先にザイテングラードが見えて来る。
とにかく、ひたすら真っ直登って行く。
やがて涸沢ヒュッテが。テン場にはすでに色とりどりのテントが張られている。500円払って登録し、先客が雪を平にならしていった跡を見つけ、そこに設営。ペグは付属のアルミペグを使うがやはりあまり効かない。
これが後で悲劇の原因となってしまう。
後から来た隣のグループは竹を割った30cmぐらいの板にビニール紐を着けたものを雪中に埋め、ペグとしていた。今度真似してみよう。
設営を済ませ、涸沢ヒュッテ名物のおでんと生ビール。おでんは100円と150円、生ビールはジョッキで800円。すべてヘリで荷揚げしていることを考えれば安いものだ。
快晴で暑いぐらい。とても気持ちがいい。
ビールを飲んでいると、前穂高から涸沢カールを滑べり下りるスキーヤーやボーダーが目の前に見え、みんな「あいつうまいな」とか「あ、こけた」などと批評している。ここには下手糞は来れない。
テントの横にマットを敷いて横になり、しばらく昼寝する。
穂高の稜線に日が遮られ、4時を過ぎると急に寒くなって来た。防寒用の長袖シャツ、タイツを身に着ける。
さらにやることもないので、夕食とする。メニューは豚肉、白菜、葱、茸、豆腐、トック(餅)のキムチ鍋。ペットボトルに詰め替えて持参した球磨焼酎を涸沢の水で割って飲みながら。最後にはラーメンを入れてしめる。
夜になると風が強くなって来た。時々、テントがひしゃげるほどの強風が吹き、何度か目を覚ました。
●強風、晴天の中、奧穂高岳へ
朝、4時過ぎに目を覚ます。やはり風は強く吹いている。
餅入りラーメンを作って朝食とする。デザートにはプリン。スプーンを忘れたので箸で食べる。
カメラや三脚、水、食料など必要な物だけをザックに詰め、アイゼンを装着し、ピッケルを持って出発する。
テント場を出たところでは長野(?)県警山岳警備隊の人が声をかけてきた。
上部が凍っている可能性があること、風が強いので注意するように言われた。
涸沢ヒュッテからザイテングラードを通り、白出乗越までは直線距離1.2kmぐらいの間に標高2309mから2983mも上がる、ものすごい急坂だ。雪は適度に締まってアイゼンも効き、滑落するほどではないが、とにかく辛い登りである。
乗越は目の前に見えているのだが、なかなかたどり着かない。
出発時は寒かったので半袖Tシャツ、長袖Tシャツ、ニットシャツ、フリース、パーカといういでたちだったが、暑くなり、フリースとニットシャツは脱いでザックへ。下もタイツをはいているのが暑いのだが、さすがにこれは脱ぐわけにはいかず…
2時間あまりかかって、ようやく乗越へ。穂高岳山荘もすでに営業を開始していた。
●雪壁を越えて奧穂高岳山頂へ
小屋の先がいきなり最危険地帯だ。ピッケルをザックに着け、ハシゴと鎖の連続をクリア。そこでピッケルを手に持ち、傾斜50度の雪壁をよじのぼる。
ガイドブックによれば、ここでスリップしたら数百メートル下の谷まで一直線に落ちてしまうという。
ただ、雪壁には階段状にステップが切られており、慎重に行けばそれほど怖いことはない。
雪壁を乗り越えると、その先にもう一ヶ所雪壁があるがあとはわりと緩やかな斜面が続く。下からは見えなかった奥穂高岳の山頂も見えて来る。
山頂は360度の大展望。空には雲一つ無く、空気も澄んで遠くの山がはっきりと見えている。すぐ横にはジャンダルム、槍ケ岳や上高地、遠くには乗鞍や御岳なども。
ただ、風が強くてあまりゆっくりしていられない。三脚を持って来たものの、これでは吹き倒されてしまいそうだ。
写真を何点か撮って下山を開始する。
やはり怖いのが雪壁の下降。登りより下りの事故が多いという。前のパーティはザイルを出していたほど。また時間的に登って来る人が増え、雪壁や梯子場では渋滞が発生している。
アイゼンを着けずに梯子を登って来た人がいて、雪壁の下であわててアイゼンを着けていたが、ほとんどスペースもないところなので、危ないといったらありゃしない。確かに梯子はアイゼンないほうが安全だけど。
梯子を登る時、ザックにピッケルを取り付けたのだが、これだといったんザックを降ろさないといけない。混んでいるし、場所もないのでザックと背中の間にはさんで両手をフリーにして下りることにした。
梯子を降り切り、穂高岳山荘の前まで戻るとほっとした。ここから先はケガをするような場所はもうない。
アンパンを食べて昼食とする。小屋の横にあるヘリポートではヘリが何度も離着陸を繰り返していたが、何も詰み降ろししてないので、訓練だったようだ。
この目の前には3103mの涸沢岳もあり、20分程度で登れるようだが、雪もないガラガラの岩ばかりで面白くなさそうなのでやめにする。
白出乗越からテント場まで、登りは汗だくになって2時間かかったのが、下りは尻セードもあっという間の30分。ただ、尻セードをやると背中に雪が入ってくるのと、防水パンツではなかったので下着までびしょびしょになってしまった。やはりオーバーパンツで来るべきであった。
●今回の悲劇、テントがぁ…
さて、奥穂高の山頂から360度の展望を味わって楽しく帰還したのだが、テン場にもどってびっくり。なんと自分のテントがひっくり返っているではないか。どの張り綱もペグがなくなっており、隣のテントにひっかかって止まっていた。幸い、テントの入り口は閉めておいたので中の荷物は残っていたのだが、テントの横に埋めておいた食料もない。
テントを元に戻し、とりあえずザックを放り込んで重しとする。
これでペグと今夜の食料がなくなってしまったわけだ。食料は、ラーメンがまだ2食分残っているし、いざとなれば山小屋で食べればいい。問題はペグだ。
まさか自分が寝ていれば飛ぶことはないだろうけど、まったくテントを固定しないでおくのは心配でたまらない。
時刻もまだ昼前、十分時間があるし、明日は天気が崩れるという予報でもあるので、涸沢を撤収し、出来る限り下に移動することにした。下ならば風も弱いだろう。
ちょっと休んでテントを畳み、撤収。涸沢を降りる。お尻が冷たくなるので尻セードはやめにしたが、雪道の下りはとばしても膝に負担がかからないので楽だ。すれ違う登山者の数がどんどん増えて行く。雪の広いところならどうにでもコースを取れるのだが、狭いところになるとすれ違いにも時間がかかる。いったい何人の人が涸沢を目指しているのだろう。
横尾に着いた時は、これでもう狭い登山道とはおさらばできると、ほっとした。足も痛くなっていたのだが、まだ時間があるのでがんばって徳沢まで行くことに。徳沢園のテント場は木立に回りを囲まれた芝生で、昨年通った時にぜひ一度キャンプをしたいと思っていたところだ。
がんばれば小梨平キャンプ場まで行けないことはないが、晴れた午後、テントの横でくつろぎたいので、徳沢園に幕営することにした。
ペグはないので、コンビニ袋に石を詰めた物や、木の枝を削って杭にしたものをペグ代わりにする。
缶ビールを買って乾杯。つまみがなかったので、非常食用のオールレーズンをつまみにする。カロリー高そう。
風呂は3日の朝に上高地で入ろうと思っていたが、隣の村営徳沢ロッジで立ち寄り入浴ができるというので、そこで済ますことにした。400円なり。シャンプーはないが石鹸が置いてあったので、それで頭も洗ってしまう。湯舟の湯は茶色。
さっぱりとしてテントに戻り、夕食にする。ただのラーメンではつまらないので、卵スープ入りのラーメンとし、卵とわかめを補給。
焼酎の水割りを飲んでさっさと寝る。
夜中、目が覚めると地面が傾斜している。昼間は気が着かなかったのだが、身体が片方に落ちて行く。
とても寝にくいので、思い切ってペグを外し、テントを90度回転させた。これでぐっすり眠ることができた。
●岩魚塩焼を求めて
3日の朝、目を覚ますと空は雲で覆われ、どんよりとしている。幸い雨は降ってはいない。山の上はガスがかかっている。今日登っている人は展望ゼロだろう。一日違いで助かった。
これまた卵スープ入りラーメン(今日は九州味)を作って朝食に。風呂を前日に済ませてあるので、時間的に余裕ができ、のんびりと撤収作業。この時、キャンドルランタンが無くなっているのに気付く。涸沢で使っただけで、いつもはコッヘルの中に入れているのだが。途中で出したりはしないし、涸沢を撤収する時は最後までペグの残りがないか眺めてから出て来たので、雪上に忘れるはずはないのだが…
明神館の前はかなりの人で賑わっている。ここで右に曲がり明神橋を渡って嘉門次小屋へ。去年の秋に焼岳登山で来た時、岩魚の塩焼を食べたのが忘れられず、また食べに来たのだが。生け簀のところでは岩魚を串に刺す作業をやっているし、囲炉裏には火が燃えているのだが、開店は8時半からという。
まだ1時間近くあり、それまで時間をつぶすのももったいない。残念ながら岩魚は次の機会とすることにした。
秋に来た時はバスの時間が気になり、あまりゆっくり歩けなかった、というか走って通りすぎた梓川右岸の自然探勝路をのんびりと歩く。このあたりは湿地帯になっていて、とてもきれいなところだ。
ジーンズやスカートにスニーカーのハイカーが多く、登山客は見かけない。登山客は左岸をそのままバスターミナルへ直行するのだろう。
観光客でにぎわう河童橋でお土産を買い、バスターミナルで整理券をもらい10時発のバスで上高地を後にした。
松本からは各駅停車を乗り継いで夕方帰宅。
●今回の反省
残雪期でもスノースコップは持って行こう
雪のテントではアルミペグは効かない
酒だけでなく、つまみも持参しよう
もう少し食事にバラエティを持たせよう