5/3~5 残雪期槍が岳山行

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GW後半は貴重な3連休、そして雪山シーズンもそろそろ終了なので始めての北アルプス、初めての槍ヶ岳登山に挑戦することにした。
松本まで夜行で行き、松本電鉄で新島々、そしてバスで上高地というオーソドックスなコースである。

【目的地】槍が岳(3180m)
【日時】2003年5月3日(祝)~5日(祝)
【メンバー】単独
【コースタイム】
5月3日:0010 国分寺駅 - 0019 立川駅 0029 = ムーンライト信州81号 = 0432 松本駅 0445 = 松本電鉄上高地線 = 0508 新島々 0515 = バス = 0625 上高地バスターミナル 0700 - 0900 徳沢 - 1000 横尾 1030 - 1240 槍沢ロッヂ 1310 - 1400 槍沢テント場着

5月4日:0500 起床 - 0600 テント場出発 - 0748 グリーンバンド 0800 - 0850 殺生ヒュッテ前 0908 - 0951 槍の肩 - 1014 槍の穂先登頂開始 - 1038 槍が岳山頂 1055 - 1118 槍の肩 1200 - 1235 グリーンバンド- 1320 槍沢テント場着

5月5日:0500 起床 - 0534 テント場出発 - 0600 槍沢ロッヂ - 0714 横尾 0721 - 0815 徳沢 0824 - 0905 明神 0911 - 0958 上高地バスターミナル 1040 = バス= 1150 新島々 1208
= 松本電手上高地線 = 1237 松本駅

とりあえず松本行き夜行快速「ムーンライト信州81号」の指定券を取る。
帰りについては連休の最終日午後、さらに7年に1度の善光寺御開帳と重なっているので特急などははなから諦め、確実に座れる普通列車に乗ることにした。

テントは、2月に赤岳登山で使ったヘリテイジのエスパース・ウィンターソロの冬用内張りを外し、オプションのフライシートを購入して3シーズン仕様とする。

悩んだのが食料計画である。
これまで車で行ったテント泊で2泊、3泊というのは何度かあるが、徒歩となると始めて。
3日の朝はおにぎり、夜は鍋。4日朝は餅入りラーメン、夜は春雨かビーフン。5日の朝はラーメンで昼はいずれも行動食で済ませることにした。一応、米とアルファ米も持って行く。

行動食としては東鳩オールレーズンと甘納豆、それにチョコレートなど。

ところが、2日の夜に近くのスーパーに行ったら白菜が売り切れ。
やっぱり白菜がないと鍋物というのは…、なので計画が早くも崩れる。一応、ペミカン(肉と野菜を炒め、ラードを混ぜた高カロリー保存食)と、余っていた豚肉に味噌を塗ってラップで包み味噌漬けとする。
家を出る時、ザックの総重量は18kg。以前よりは軽くなっているようだが、食料の分、だいぶかさ張る。

スキー(フリートレック)を持って行くか悩んだが、本によると槍沢は上級者向けコースであること、雪の状態が悪そうなこと、3kgといえども軽くしたいので断念した。

●夜行列車に乗って

2日の深夜、18kgのリュックを担いで国分寺駅へ。
立川駅でムーンライト信州を待つ。ドアが開いてびっくり。入口が荷物で塞がれた状態で乗車できないのだ。
発車のベルが鳴って焦っていたら、中に乗っていた人がリュックを持ち上げてくれ、なんとか乗車できた。
彼らはその後もずっとデッキに立っていたので、指定券を持ってないようだ。
ムーンライト信州は全席指定だが、普通列車で急行券などは不要。指定券が取れないまま乗り込んできたのだろうか。

松本で松本電鉄上高地線に乗り換える。JRとは改札はなくて通路でつながっている。
ここで上高地までのバス往復割引切符4400円を購入。

切符購入に時間がかかって出遅れたが、なんとか座ることができた。

やがて電車は新島々へ。ここからバスに乗り換える。リュックザックはバスの後部に積んでくれるのだが、あらかじめピッケルやストックは外して手で持つようにアナウンスがある。

バスは梓川沿いに上高地を目指す。ダムが何箇所もあり、テープでダムの名前や大きさなど説明が流れる。

●初夏のような上高地

釜トンネルを抜け、いよいよ終点の上高地バスターミナルへ。
ここで朝食におにぎり1個を食べる。

さすがに朝の上高地は涼しいが、雪はまったく無い。河童橋からは穂高が見える。

明神を過ぎ、徳沢あたりから道の横に雪がちらほら出てくる。
蕗の董がたくさん生えている。
上高地で蕗の董を採るわけにはいかないので、香りを楽しむだけにした。

徳沢園には「氷壁の宿 徳沢園」という看板が出ていた。テント場は明るく広々として気持ちよさそう。
横尾山荘の前で残っていたおにぎりを食べる。

横尾大橋には鯉のぼりが上げられ、目の前には穂高が大迫力で迫る。やはり次は穂高に登ってみたい。

横尾までは大勢の人がいるが、ほとんどの登山客は横尾大橋を渡って涸沢から穂高に行くようで、
槍沢方面はいきなり人がいなくなる。横尾から先は雪がだいぶ増えてくる。

二の俣は本には吊り橋と書いてあったが、実際には木の橋。ただ、なぜか真中の板1枚しかなく、足元に沢が見える。この先は雪道の上り坂になる。ザックは18kgなのだが、かなり疲れる。

やがて槍沢ロッヂに。ここでテント料金2泊分1000 円を払い、350ccビールを500円で購入。
ロッヂの先が槍見台になっており、槍の穂先がはるか先に見えた。けっこう急だったり、ギャップがあったり、クレバスがある雪道をたらたらと50分ほど登って槍沢テント場に到着。

●槍沢にテントを張る

両側が切り立った山にはさまれた平らな雪原にテントが数張り。
ツェルトだけのツワモノもいた。沢に近い方にテントを張る。
すぐ近くには若い女の子が一人でテントを張っていた。
ガイドブックによるとテント場には水と簡易トイレがあることになっていたが、そんなものはどこにも見当たらない。
幸い、この辺りまでは槍沢の流れが露出していたので、1.5mぐらいの雪の段差を降りて雪溶け水を汲みに行く。
簡易トイレの部材らしきものはばらして岩小屋の中に置いてあった。テント場の先は両岸からのデブリ(雪崩)が堆積している。

夕方3時ごろ、まだ早いのだがお腹が空いたので昼食兼夕食にする。食料の袋を開けたらジップロックに入れたペミカンがもれて、他の食材がラードでベタベタになっていた。コンビニ袋を二重にしておいて助かった。餅入り・ペミカン入りラーメンを食べる。

腰がかなり痛く、焦るが腰痛、ぎっくり腰というほどではない。荷物で筋肉痛になったようだが、
最近トレーニングをさぼっていたのがいけなかったのだろう。

西側に横尾尾根がかかるテント場は3時半を過ぎると日が翳ってしまい、急に寒くなる。泡盛を飲んで5時ぐらいには就寝。

●疲れたが、快適な登り

翌朝は5時に目が覚める。温度計は零度という表示。
朝は味噌漬豚肉を入れたマーボー春雨を作る。ここで失敗。肉が味噌漬なので味が付いているわけで、春雨の調味料を加減すれば良かったのだが、一袋入れてしまった。そうしたら塩ッぱいこと。山の中で残った汁を捨てるわけにもいかず、お湯で薄めて飲んだ。トータルの塩分量は変わらない。
ずっと喉の渇きに苦しめられ、また水を飲みすぎたのか調子が悪くなる。

テント場でアイゼンを付けて出発。大曲あたりまでは日陰だが、その先から強烈な日差し。
気持ちいいがすぐ暑くなる。どんどん脱いでいって半そでTシャツになってしまう。

顔と腕には日焼け止めクリームを塗りたくる。
足元の雪は適度に締まっていて歩きやすい。広い雪原のどこでもルートになるわけで、トレースを外れてもほとんどもぐることがない。

グリーンバンドまで行くと目の前に槍の穂先が姿を現し、雷鳥が飛んできて這松の上に止まった。上が黒、下が白とはえ変わりの途中のようだった。

山スキー、テレマークの人もちらほらいる。今回スキーは持ってこなかったが、この斜度に雪質ならぼくでも多少は滑れただろう。

ザックの中身は水と行動食ぐらいで軽いはずなのに、とにかく疲れる。水の飲み過ぎか、空気が薄いこともあるのだろうか。10m間隔ぐらいで旗ざおが立っているのだが、1本登るごとにしばらく立ち止まって呼吸が落ち着くまで休む。

●ついに槍の穂先へ

槍の肩から上は雪がなく、みんなここでアイゼンを外している。
ちょっと休んで、いよいよ槍の穂先に挑戦する。

槍の穂先といえば、昇り降りの順番待ち、混雑する頂上で有名だが、ぼくが登る時にはガラガラ。だいぶ先に数人がいるだけで、後続はいない。さすがに急な岩場、鎖や鉄梯子の連続には緊張するが、
思っていたほどきつくはなかった。頂上には数人しかいなかった。

ヘルメットをかぶったクライマーらしいグループに年配の人が「私は第二次RCCの頃、現役で岩に登ってました。あの頃は麻のザイルで、重くて大変でしたよ」と語っていた。やがてその人たちも降りてしまい、頂上はぼくともう一人の男性だけ。セルフタイマーを使うなどしてのんびり写真を撮ることができた。

遠くの山はちょっと霞がかかっていて、くっきりシャープではなかったのが残念。

テント場は携帯電話が圏外だったので、ここで東京に連絡を取ろうとした。auの携帯電話はアンテナが3本立っているのに何度やってもつながらない。見晴らしがいい分、複数の基地局からの電波を拾ってしまい、うまく通信できないのだろうか。

頂上から降りはじめると、はるか下にはアリのように小さく登山者の列が見えた。
本当にタイミングが良かったようで、ぼくが降りた後は順番待ちの列ができていた。

槍岳小屋でジュースを飲み、夜用に500ccの缶ビール750円を買う。小屋の前では中京テレビが登山客たちを取材していた。3180mという高度のせいで軽い高山病になったのか、頭痛がする。

●登り5時間、下り1時間半

登りはヒイヒイ言いながら5時間もかかったが、下りは雪を蹴散らし、グリセードや尻セードを交えて飛ばし、1時間半程度でテント場に着いてしまった。

ただ、ロングスパッツを着けていたのに雪が靴の中に入り、パンツの裾や靴下が濡れてしまう。

当初の計画ではテント場到着は夕方4時。それが1時半には着いてしまった。これだったら二日目はテントを撤収して横尾あたりに張れば3日目がもっと余裕を持てたはず。

すでに二日分のテント代を払っていたのでその場に留まることにした。

隣のテントから携帯で喋っている声が聞こえる。ぼくの携帯では圏外なのに。そこの住民に聞いたら
「連れのドコモです。ぼくはauなんでつながらないですね」と。二人で山ではドコモじゃないとダメだなという話しになった。

とにかくやることが無くてヒマヒマ。ビールを飲んで昼寝。濡れた登山パンツはテントの上に紐を張って乾かした。夕方、キャベツをどっさり入れたビーフンを食べる。朝が春雨に夜がビーフンではワンパターンな気もするが。

●足の痛みと闘いつつ

3日目が一番あわただしかった。
東京方面への普通列車は14時28分松本発・18時30分国分寺着の次は16時40分松本発・21時04分国分寺着になってしまう。14時のに乗るためには11時20分上高地発のバスに乗らなければならない。

上高地で温泉にも入りたいので10時ぐらいにはたどり着かないといけないだろう。となると、5時過ぎに槍沢を出発する必要がある。朝5時に起床。隣の人はすでに撤収作業中。

前日、食べ過ぎたせいか食欲がないので朝食はパスし、撤収にとりかかる。
凍った雪からペグを掘り出すために、今回、最初で最後のピッケル作業。下りではアイゼンを付けなかった。槍沢沿いの道は途中、やや滑るところもあったが慎重に通過する。

テント場あたりでは槍沢はちょろちょろした小川だったが、槍沢ロッヂまで来るとかなり水量が増えてくる。途中、沢の写真を撮る。三脚を立てて1秒のスローシャッターを切ると水面が白い線になり、幻想的な雰囲気。

この後、やたら足の速いクライマーに追いつかれ、あおられる。こちらも早く下山したいので飛ばすが、
一度、靴に雪が入ったのを立ち止まって出していたら抜かれ、その後はどんどん間隔が開いて行った。

靴下と靴が合わないのか、足が痛い。右足は靴の一番上が、左足は足裏が痛い。一昨年ぐらいに購入した登山用靴下なのだが、脱ぐのに苦労するぐらいきついので、締めつけられているのかもしれない。
足が痛いのだが、休んだら動けなくなりそうなのと、温泉の時刻を気にして、「横尾までは」「徳沢までは」とほとんど休まず歩き続けた。

●計画変更して浅間温泉へ

足の痛さが限界になる頃、ようやく上高地バスターミナルに到着。ちょうど10時のバスが出るところだった。11時20分のバス整理券をもらい、観光案内で近所の温泉の場所を聞いたら「今は午前の営業が終わり、掃除に入ってますね」。
が~ん、バスが出る前に温泉に入る計画が崩壊してしまった。

仕方がないので松本で入浴することにし、もらったばかりの11時20分の整理券を10時40分のものに変えてもらう。もう少し急げば10時のバスに乗れたのに。

松本駅の観光案内のお嬢さんに日帰り入浴できる温泉を聞いたところ、浅間温泉がお勧めだという。バスで20分ぐらいのところ。

現地で「日帰り入浴施設」という看板が出ている「枇杷の湯」に入ることにした。ここは宿泊施設がなく、日帰りのみ。主人は松本藩湯守の子孫で、庭には殿様お手植えの松などがあり、けっこう由緒あるところらしい。

最初は14時28分松本発の普通列車高尾行きで帰るつもりだったが、この時点であまり余裕はなくなっていたし、温泉に入ったら気持ちよくてどうでも良くなり、1本遅らせて16時40分発普通列車大月行きで帰ることにした。

温泉は無色無臭無味の単純泉。のんびりと温泉に入り、出てすぐのところにあるかどやという蕎麦屋で遅い昼食。これまでほとんどお金を使ってないので奮発して天ざる1750円を頼む。
細めの蕎麦に大きな海老と山菜天ぷらが付いていておいしい。

またバスで松本駅に戻り、数分歩いたところにある開運堂でいわさきちひろ美術館のアップルパイをお土産に購入。

駅ビルで地酒と車内用缶ビールを購入。1640発の普通列車大月行きで松本を離れる。
途中、甲府から乗って来て隣の席で宴会を始めたJ2山形サポーターの騒ぎに悩まされたりしたが、21時半ごろ、無事に帰宅。

脚の筋肉痛はほとんど出なかったが、腰の痛みは数日続いた。

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このページは、masaruが2003年5月 6日 18:48に書いたブログ記事です。

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