2/8~9 赤岳~横岳~硫黄岳

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土日に赤岳に登ってきた。

連休ではないけれど、建国記念の日前の土日ならばかなり登山者も多いだろうということで、南八ヶ岳に登って来た。
北八ヶ岳や蓼科山とはまったく違う、激しい風と鎖場・梯子・急峻な尾根を体験することができた。

今回、テントを新調した。
これまで使っていたテントはオートキャンプ向けの安物。雪山用ではないし、重くてかさばる。
いろいろ調べた結果、雪山用テントとしては定評あるヘリテイジのエスパース・ソロ・ウィンターを高田馬場カモシカスポーツで購入。

装備:ザック(アークテリクス・ボラ60)、登山靴、アイゼン、ストック、ピッケル、テント、シュラフ、リッジレスト、
100円ショップで買ったお風呂保温シート、テルモス、ガスストーブ、コッヘル、ツェルト、コンパス、NIKON FM3A + Nikkor 18-35mm、Minolta S304、八重洲無線FT-704(トランシーバ)、レインウェアなど。
服装:化繊防寒素材の下着上下、アクリルのシャツ、フリース、Patagoniaのジャケット、登山用パンツ、オーバーパンツ、手袋(スキー用、毛糸など)、ニット帽、オーバーミトン。
食糧:無洗米1.3合、レトルトの豚卵丼、豚肉少々、レトルト野菜スープ、ソーセージ、焼酎など。
総重量は20kg弱ぐらい。

●コースタイム
赤岳鉱泉 07:15 ~ 行者小屋 08:10-08:22 ~文三郎道 08:50 ~ 文三郎道分岐 09:40-10:00 ~ 赤岳頂上 10:30-11:20 ~ 赤岳展望荘 11:42-11:48 ~ 鉾岳 12:36 ~ 三叉峰 12:48 ~ 横岳奥ノ院 13:00 ~ 硫黄岳山荘 13:33-13:50 ~ 硫黄岳 14:10-14:15 ~ 赤岳鉱泉 15:20-16:20 ~ 美濃戸口 18:18

土曜日、朝8時半ごろ自宅を出発。府中国立インターより中央高速へ。快調に飛ばしていたが、勝沼インター先で横転事故のため道路が閉鎖され、インターで下へ降ろされるという。
そのため笹子トンネル内より渋滞がはじまり、1時間ぐらいノロノロ。勝沼インターに着いたころには道路閉鎖が解除されていた。

諏訪南インターで高速を降り、15分ぐらいで美濃戸口へ。途中、雪が残っている道で地元農協の小型タンクローリーが横転していた。
太陽館前あたりから路面の雪が多くなる。対向車をやり過ごそうとして一時停止したら登らず、一瞬焦るが四駆に切り替えたらそのまま駐車場まで行けた。結局、チェーンは使わず。美濃戸口から林道を途中まで入れるという話を聞いていたが、林道入口は閉鎖されている。ここで1泊分1000円の駐車場代を払う。

登山靴に履きかえて歩きだそうとしたら登山靴の中敷がない!!
蓼科山から帰って干した時、中敷を出したままにしてしまったのだ。電車で来るなら玄関で靴を履く時に発覚するのだが…
しばらく考えて、今まで履いて来たスニーカーの中敷を入れればいいことに気付き、無事に第一歩を踏み出した。

15時過ぎに赤岳鉱泉に到着。すでにテント場にはいくつものテントが張られている。
さっそく受付を済ます。テントは一人1000円。小屋泊まりだと2食で8000円もする。

もっとも小屋泊まりは料金相応に快適そうだ。食堂は広く、談話室や売店などもある。
別料金でコタツ付きの個室にも泊まれる。廊下ではジェットエンジンみたいな大型ヒーターがうなりをあげ、とても暖かい。トイレは小が水洗、大がバイオトイレで、なんと暖房便座。苗場や仙丈岳の小屋とは雲泥の差だ。食事もかなり豪華らしい。

今回の新兵器、エスパース・ソロ・ウィンターテント。ちょっと狭いかもしれないが、小柄なぼくでは気にならない。ただ、外気温が高いため、冬用内張りの効果は分からなかった。

夕食は無洗米1.3合を炊き、その半分にレトルト豚卵丼をかける。カロリーとタンパク質が足りないので豚肉少々を持参し、一緒に温める。味は薄くておいしくない (T_T) 塩か醤油を持って来なかったのが失敗。漬物でもいいな。

半額になっていた節分用の豆をつまみに焼酎のお湯割を飲み、7時過ぎには寝たのだが、隣のテントが大学山岳部で、遅くまでうるさい。

朝、4時過ぎに目を覚ますとテントが狭い。夜中に雪が降ってテントの両側から押して来ているのだ。
積雪は5cmぐらい。おまけに小屋も見えないぐらいの霧がたち込めている。どうしようか、このまま撤収かと横になっていたが、天気予報では昼から晴れるというし、さすがに5時前ぐらいになると回りのテントでも出発準備が始まったようなので起きる。

前夜の残りご飯にレトルト野菜スープとソーセージを入れて雑炊に。ぐちゃぐちゃで味が薄く、まずい (^^;

次回はテント食改善がテーマだ。

テント、シュラフ、マットなどをその場に残し、必要なものだけザックに詰めて出発。17kgぐらいかな。

赤岳鉱泉の裏を回って行者小屋への道を進む。
行者小屋の横を通り、樹林帯を抜けると文三郎道。鉄網の階段にアイゼンを引っかけないように注意、
と本には書かれていたが階段は完全に雪に埋もれている。ただ、後ろを振り向くとかなりの高さがあり、恐い。

文三郎道と赤岳と阿弥陀岳との分岐に出た所で台風並の烈風に襲われる。積もった雪が地吹雪となって叩き付けて来る。目を開けていられない。みんなうずくまって風が収まるのを待っている。フードをかぶろうとするのだが、うまく開くこともできない。この先に進めるのだろうか、戻ろうかとすら思った。
手袋を外してフードをかぶることができたが、あっという間に手の感覚がなくなり「凍傷」の2文字が頭をよぎる。稜線上で手袋を外してはいけないとは、雪山入門書には必ず書かれていることではあるのだが。登山道の脇でしばらくもがいていた。

やがて風がおさまり、装備を整えることができて立ち上がった。稜線に出ると、赤岳頂上ははるか上、急峻な岩と雪の壁の先に見える。「あそこまで登れるのか?」これまでにない恐怖心を抱くが、引き返す訳にも行かず、一歩一歩慎重に登る。指の感覚も戻って来る。
登ったところは赤岳最高地点である南峰。人でごったがえしている。

数十メートル先には冬季閉鎖されている赤岳頂上小屋、北峰がある。
頂上小屋の横にザックを降ろし、立ったまま昼食。
空は澄み切って富士山をはじめ周囲の山並がくっきりと見えている。

北峰へ行ったり、南峰へ戻ったり、写真を撮るのに時間を使いすぎた。風はあるけど暖かく、小屋の屋根からは雪溶け水がポタポタ落ちて来るほど。
また、父親にアンザイレンされた小さな男の子が登って来たのにはびっくりした。小学校低学年になっているかどうか。

北峰から地蔵の頭へ向けて雪壁を降りはじめる。冬季閉鎖の展望荘横を通り、地蔵の頭へ。
左へ降りれば地蔵尾根を通って行者小屋へ下山。そのまま直進すれば横岳、硫黄岳だ。

天気は最高にいいし風もそれほどひどくはない。このまま進むことにした。アイスバーンになっているところはなく、柔らかい雪か岩と砂利。危険な場所が続くが、赤岳頂上手前ほどの恐怖心を感じることはなく、ふっ切れた感じで着実に脚を進める。

強風では吹き飛ばされそうになるが、回りを見ていると雪煙の立ち方で強風が来るのが分かるので、
ピッケルを雪面にさして対風姿勢でかまえてしのぐ。

横岳を無事に通過し、硫黄岳山荘へのだらだらとした下りに出てほっとするとともに疲れが。
風が強いので冬季閉鎖中の硫黄岳山荘の蔭に入ってしばし休息。ここでうっかりしてオーバーミトンを飛ばされてしまう。

脱いだらすぐにポケットにでも入れなければいけないのに。横岳通過で気が緩んだのだろうか。
山荘の横にテントを張っている人がいた。

しばらく休んで硫黄岳への緩い登り。ほとんど砂利ばっかり。硫黄岳の頂上は石だらけの広場。
北側は噴火でできた爆烈口がぽっかりと空いているが、風が強いので近寄るのはやめた。写真を数点撮ってさっさと下山。

ガイドブックでは硫黄岳から登って横岳~赤岳~文三郎道というコースが紹介されているのだが、高度感のある文三郎道を降りるより、雪の硫黄岳から降りる方が楽ではないのかな。

無事に赤岳鉱泉へ着き、しばらく休んでテントを畳み、撤収。だいぶ昼が長くなっているが、さすがに林道終点前に日没。だけど月が出ていてヘッドライトを点けなくてもけっこう明るい。

途中で2台の車に抜かれた。
美濃戸口の山小屋で温泉もあるようだが、早く帰りたかったのでそのまま車に乗り、帰宅。

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このページは、masaruが2003年2月 9日 22:50に書いたブログ記事です。

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