奥武蔵丸山
山行報告(by マゾッコメグ)

 マゾッコメグです。

 去る3月18日、コアラさんと製薬会社の山岳会(らくきょの会)の人達と
一緒に、奥武蔵の丸山に行って来ました。その報告文です。


 午前5:50頃、コアラさんとつくばセンターで待ち合わせ、
私の車で荒川沖に出た。
荒川沖6:29発の常磐線で日暮里まで行き、山手線に乗り換え、
池袋8:15発の西武池袋線の快速急行に乗った。
ここでNさんが合流。

 実は私は埼玉県入間市の出身で、実家の最寄り駅は池袋線の武蔵藤沢である。
実家はさすがに電車の窓からは見えないが、
武蔵藤沢から徒歩5分程の所にある。
正月以来、実家には帰っていないので、
こういう時くらいは親に顔を見せに戻った方がいいのだろうが、
学会前で翌19日も仕事しなくてはならないので、
実家の近くを通っておきながら、実家に帰ることは出来なかった。
快速急行は武蔵藤沢には停車しなかったが、さすがに一抹の淋しさを覚えた。

 奥武蔵は私の故郷と目と鼻の先にあるので、
奥武蔵の山は子供の頃から登り慣れている。
しかし、まだ丸山には行ったことがなく、
しかももう10年近く奥武蔵には行っていない。
ついでに秩父には16年位行っていない。
そんな訳で、奥武蔵がどのように変貌したかも興味あるところであった。
行きの電車の中ではかなり眠ってしまったが、それでも私が見た限り、
奥武蔵は10年やそこらでは、意外な程変わっていなかった。

 芦ヶ久保には10時前に着き、ここで「らくきょの会」の参加者全員と合流。
今回の参加者は、全部で9人。
Iさんが私と同じ武蔵藤沢在住で、Yさんが隣の狭山ヶ丘在住ということで、
ローカルな話題に花を咲かせることもでき、結構楽しめた。

 芦ヶ久保から丸山までは、地図上では2時間程ということになっていたが、
途中から雪が積もっていたことなどもあり、実際には2時間20分程かかった。
林が切り開かれた防火線が登山道になっていて、展望が効いて眺めが良かった。
丸山山頂には展望台があり、そこからは堂平山や武甲山、
更に遠くの山々も望めた。



 堂平山には天文台があり、ここは16年程前に行ったことがある。
その時天文台の見学は出来なかったが、
この天文台も光害のためもうすぐ閉鎖されるとのことで、
ちょっと淋しいものがあった。

 武甲山も同じ頃、高校の遠足で登ったことがある。
遠足とは言っても、7,8人の小規模なものであったが。
日本200名山に数えられる武甲山は、
電車がトンネルを抜けるといきなりその雄大な姿を見せてくれて、
いつも圧倒されたものだった。
しかしその武甲山も、当時既に石灰岩の採掘が行われており、
山頂から採掘現場が見えて、ちょっと興醒めした記憶がある。
当時に比べて、今では更に採掘が進んでおり、
石灰岩が露出してまるで雪が積もっているかのように白くなっていた。
また採掘の跡が横縞模様を形成し、山頂付近が三角形になっていることもあって、
まるで巨大なピラミッドのようでもあった。



 丸山山頂で食事にしたが、お汁粉もご馳走になれて、結構満腹になった。

 丸山山頂で1時間程休憩した後、下山し、
秩父34カ所札所の第4番、金昌寺へ向かった。
金昌寺までは2時間ほどの道程だったが、
花粉症のため鼻水やくしゃみに苦しめられ、
とてつもなく長い道程に感じられた。

 金昌寺は小さな石仏がたくさん並んでいるのが特徴的だったが、
実は20年前に来たことがあった。



 下山後は新木鉱泉で入浴。
秩父の温泉は鉱泉が多いが、入り心地に差はなく、生き返った気分になれた。
ただし、4時発のバスを逃すと、次は5:20頃までバスがなく、
次のバスになるとコアラさんが知人の結婚式の2次会に遅れてしまうので、
のんびり出来なかったのが残念だった。
ここから西武秩父まで¥210だったが、
タクシーでも割り勘にすればそれ程差はなかったのではないだろうか?

 西武秩父4:47発(だったかな?)の快速急行で帰った。
幸い車内が空いていたので、帰りはやっぱり宴会状態になった。
しかし東飯能・飯能で大部分の人が降りてしまったので、
その後は眠ってしまい、目が覚めたらもうすぐ池袋、というところだった。

 コアラさんはそのまま結婚式の2次会へ直行。
私は山手線で日暮里に出て、常磐線に乗り換え、
つくばに到着したのは8時半頃だった。

 久しぶりの奥武蔵だったが、結構楽しめた。
しかしこんなに疲れたのは予想外で、
4月に予定している大菩薩山行に暗雲がたちこめたのも事実であった。
もっと体を鍛えないと・・・

 今回はお世話になりました。
また「らくきょの会」の皆様と山に登れるのを楽しみにしています。