高松山山行報告(by コアラ)

3月30日(日)の夕方に、可部にある高松山に登ってきました。
2万5千分1地形図「可部」参照。

可部は広島市安佐北区の中心地ですが、
太田川が広島デルタに出るところの狭窄部の上流にある盆地状の市街地で、
広島市内とはいえ広島とは独立した街の感じです。
出雲街道と石見街道が合わさる交通の要所で、太田川水運の中継地でもあり、
熊谷氏の城下町として、宿場町として、古くから栄えていました。
地形的には山に囲まれた盆地状の地形が京都に似ており、
昔の街並みや水運の名残が残っているので、安芸の小京都とも呼ばれています。

高松山はその可部の街を一望出来る、標高339.0mの山で、
山頂には県史跡である高松城趾があります。
この山は、山MLでも紹介した、請川洋一著の
「イラスト 広島近郊の山城と史跡 ベスト33」にも紹介されています。

高松城主・熊谷氏は直時のとき、承久の乱の功により、
可部三入の地頭職に任ぜられ、武蔵国熊谷から本拠を移した。
当初は安芸国守護で銀山城主・武田氏に従ったが、
天文年間の信直の時代に毛利氏に下ってその重臣となった。
信直は交通の要所である可部の戦略拠点として、高松山に城を構築して移った。
その後、毛利輝元の萩転封に伴い異動するまで、城は存在したらしい。

最近山城跡巡りに結構こっているので、
この山は当初、早朝山行で登ろうと考えていたが、
その日はたまたま朝早く起きれなかったので、断念していた。
カナビーが昼寝に入った後、1人で気分転換でドライブに出た際に、
可部まで遠出したので、ついでに登ってしまったが、
家を出たのが午後3時半過ぎだったので、夕方の山行になってしまった。

●コースタイム
可部高校グランド16:25−水場16:40
−高松神社(三の丸)16:50〜55
−高松山山頂(本丸)17:05〜15−谷の坊寺跡17:25
−水道局給水場(下山口)17:35−可部高校グランド17:55

可部高校のテニスコート脇に車を止め、谷沿いの登山道を登り始める。
入口には桜並木があったが、まだ1分咲きといった感じで、
満開まではまだ時期がかかりそうである。
墓場を抜け、鳥居をくぐり、自然石の石畳を登り始める。
山城の搦手道だけあって、昨日の二ヶ城山と比べると急な坂道である。
樹林に覆われ全く展望が無い。
中国新聞に、高松山の登山道が地元のボランティアの手で整備され、
木々や植物の説明板が取り付けられたとあったが、綺麗に整備されていた。
最初の内は一つ一つ丁寧に読んで登っていたが、時間が無くなってしまうので、
途中からほとんど読まないか、種名のみ見るだけになってしまった。
屋敷跡の石垣や馬の洗場などが残されている。
季節はもう終わってしまっていたが、若干椿の花が残っていた。

15分ほど歩くと、水場に着く。
今回ペットボトルを持ってこなかったので、冷たい水で喉を潤す。
ここからはより急な坂となり、沢を離れて尾根に取り付く様になる。
尾根に出たところで別な道と出会い、右に向かうと広い平坦地の三の丸。
ここの奥に、火を防ぐ神である高松神社が鎮座している。
この神社は、可部の大火の後、
京都の愛宕山から火の守り神として分けてこられたそうである。
5月最終土曜日の夜、「大」の字が映し出される大文字焼きの舞台となっている。
まさに「小京都」の風情である。
後でガイドブックを読んで知ったのだが、
尾根で出合った道を左に下りれば、可部の街が一望出来たらしい。
そのすぐ下が、大文字焼きの場所らしい?
知っていれば、あえて寄ったのだが、残念。

三の丸跡からは本丸跡に直登はせず、右の平坦な道に入り、
馬場跡の石組井戸を見てから、山椿の茂る二の丸跡へ。
その後、最後の急坂をクリアし、山頂の本丸跡へ。
本丸跡は面積約1900平方mと広く、四等三角点があり、展望が良い。
西側には、福王寺に上がる車道とお堂が見える(昨年11月に登った)。
南側には、可部の街並みとそこを流れて広島デルタに向かう太田川が一望。
デルタに林立する広島の街並みや湾内に浮かぶ島々も一望出来る。

下山は夕方遅くなってしまったが、同じ道をピストンはせずに、
北東方面の尾根を縦走することにした。
本丸の北側にある、敵襲来を知らせる鐘を吊っていた櫓を置いた
「鐘の段跡」の左からテープを頼りに下山開始。
登りの道ほどは良くはなく、踏み分け程度の道でしかも急坂である。
靴が昨日と同じくビジネスにも使っているウォーキングシューズなので、
慎重に下山する。しかも今回は荷物は手提げだったので、片手がふさがっている。
(今回は城跡巡りの本を持ってきたが、リュックを持って来なかったので、
スーパーのビニール袋を手提げにして、その中に本や地図を入れていた。
ちょっと山を舐めた格好である。)
しかも夕方の樹林帯の中の道なので暗く、テープを捜すのがやや苦労した。
一旦平坦面に出るが、ここは「谷の坊寺跡」。
ここからより急な斜面を東に下りるが、シダに覆われた道だが、
踏み跡ははっきりしており、道に迷う心配はない。
ただし全体としては荒れており、牛田山の悪路とされている道と同じくらいか?
やがて水道局の施設が見え、最後の車道に出る部分がブッシュが凄い。
コースタイム30分のところ20分で下りてしまったので、
結構良いペースで下りてしまったようだ。
その後舗装された車道に出てからは、
可部高校のグランドまで、可部の夕方の景色を眺めながら向かった。

可部の旧街沿いを車で通って帰ったが、昔の宿場町で鍵状の狭い道やら、
昔ながらの家並みとかが残っており、なかなかレトロで良い街である。
漆壁に格子戸の町屋が随所に残っており、宿場町の姿をとどめている。
城主の熊谷氏が城下の防衛のために造った「折り目」。
敵兵が一気に攻めてこないように道が直角に折れている。
その様な道を、ひっきりなしに車が行き交っている。
今回は時間がなかったので、街の散策は出来なかった。
自宅には6時半くらいに戻った。