岡山大学新聞 通刊238号 1978年9月30日発行

'78大学祭基調

大学祭実行委員会アピール

-大学祭基調への前置き−

 「大学祭」は今までその時々の情況を敏感に反映して存在し続けてきた。あるいは存在させられてきた。そして最近数年間大学祭をめぐって議論されてきたこと、問題の中心となってきたことは「個々バラバラの情況にいかにして切り込むか」ということであった。
 今年学友会総務委員会は七五年大学祭で試行されたこと、七六年崩壊はしたがそのこころみようとしたことを継承し、バラバラの情況へ切り込む共同性の提起を模索するために「大学祭に向けて」においてその方向性をあきらかにした上で大学祭実行委員会の募集を行い、七月十四日第一回大学祭実行委員会が発足した。
 ところがそこには学友会が実行委員として認めなかったものが大挙おしよせ、第一回実行委員会は紛糾にさらされざるを得なかった。七八大学祭実行委員会ははやくも苛酷な情況の中に自らを見出すことになったのである。
 この苛酷な情況とは何なのか、実行委員会がそこから引き受けていかねばならないものは何なのか、学友会の実行委員募集過程から辿って分析してみよう。
 学友会総務委員会は七六年以来二年ぶりに実行委員会体制をとるに当って、七六年、七七年の崩壊した「大学祭」の若干の総括と、七五年大学祭(共同作業と相互討論の徹底によって情況へ切り込もうとした)を継承していくことを「大学祭に向けて」にあらわし、それによる討論を実行委員会に参加するための資格として参加しようとずる団体に要請した。
 これに対し法経学生会をはじめとする二○数団体が「『大学祭に向けて』を討論する必要はない」などの理由で、総務委員会の要請した「大学祭に向けて」の討論や、その内容の文章化を拒否した。
 総務委員会は今年度の大学祭をやるためには七六年の実行委員会崩壊をくりかえさないため、大学祭にかかわろうとする態度をはっきりずるように再度求めたが、結局返答がなく、総務委員会はその二○数団体を大学祭実行委員として認めなかった。
 そして第一回大学祭実行委員会の開催となり、実行委員として認められなかった二○数団体が学友会総務委員会を追求することを目的としてその場に介入したのである。そこにおける彼らの主要な論旨はこうである。
 「みんなそれぞれ自分たちなりに大学祭を担っていきたいんだから実行委員なんだ」
 「実行委員として認めるか否かは(まずみんなを実行委員として認めた上で)実行委員会が決めればいいことだ」
 「学友会に実行委員の資格を審査する権限はない」
 ここで注目しなければならないのは「自分たちはやる気があるのだからそれでいいじゃないか」という発想である。ここに欠落しているのは七六年大学祭実行委員会の崩壊をどう総括しているのか、ということであり、その総括をすでに七六年にあきらかにしていなければならないのに、二年後の現在も未だに出し渋っている彼らの責任感覚の欠如こそが指摘されなければならない。
 七六年より一歩でも二歩でも前進していくためにはその問題点を洗い出し、七六年の情況を乗り越えねばならない。今や大学祭と呼びうる大学祭、即ちバラバラの企画、バザーの寄せ集めではなく、新しい共同性を目指す流れをもつ大学祭を創り出すためには核となる強固な実行委員会が必要なのであって、過去の総括もあきらかにしないまま無責任に実行委員会にかかわろうとする姿勢は批判されなければならない。また呼びかけた学友会総務委員会としては無責任にかかわろうとする団体を実行委員として大学祭運営を委託するわけにはいかないのも当然である。
 当初から過去の「大学祭」の総括、現在の情況の討論を放棄してきた、そればかりか「自分たちは自分たちなりに…」と自分と大学祭とのつながりを自らのかぎられた共同性のワク内でしか考えない、これらの団体の責任性の欠如こそは大学という共同性の崩壊した現情況の一つの如実なあらわれに外ならない。なぜなら責任性とは共同体(共同性)への帰属意識と不可分であり、帰属すべき開かれた共同体(共同性)をもたないとき、責任性は自己ないし自己の属するせまい共同体のワク内においてのみとらえられ、それはその外に対しては自己ないしその属する閉ざされた共同性の押しつけ、即ち甘えとなってあらわれてくるのである。
 大学という近代を代表する一つの共同性の崩壊は新たな共同性の創出を不可欠の課題としてきた。にもかかわらず七八大学祭実行委員会は七四年大学祭〜七六年大学祭基調B案をささえた戦後民主主義を絶対化する勢力とそれを不可分にささえる甘えの共同性によって、「新たなる共同性を!」と言いうるゼロ地点から大きく後退したマイナス地点に存在することを余儀なくされている。それを突破するための新たな共同性の創出にむかう責任性の創出が不可欠の急務となっているのだ。
 今マイナスからの出発を開始していかねばならない。

78大学祭基調

 大学祭基調は大学祭の飾り物ではない。それは情況と大学祭総体との接点であり、情況の課題をどれほど大学祭基調に体現しうるかが問題だ。

『自分は何を求めて大学にやってきたのだろう。入学した頃のあのばくぜんとした期待、大学では高校と違い、自由で充実した生活がおくれるだろう。やりたいことをやり、学びたいことを学ぼう…。
 しかし、新しい習慣にも慣れ、目新しい事もなくなった時、自分はやはり以前の自分でしかなかった。毎日毎日の講義。それは一体なんなのだろうか。ほとんどの講義に興味を感じられない。あるものは、教官の世間話ばかり聞かされるし、あるものは、一方的に知識をばらまくだけのように思われた。ほんの一つか二つの興味を感じる講義も他の無数のくだらない(と思われる)講義たちに押し潰されるみたいだ。もはや教室のなかには誰の姿も見えない。そこにあるのは顔をなくしたのっぺらぼう達の集りである。ひとりでいることに耐えられなくなって、自分はサークルへと向った』  入学后二、三か月の学生存在によって対象化された教室〜学生情況である。このような教室情況に強いられて学生存在の一定の部分が<サークル>へむかっているだろう。であるとしたら、<サークル>さらには<学友会>にかかる責任はきわめて重大である。あるいは荷が重すぎるかも知れない。何故なら、もはや教室は単位制の呪縛のもとに創造の基盤たる有機的な人間関係を失ない。珠数つなぎされた仮面たちの奥でひとりひとりはどうしようもなく孤立しており、その孤立の情況をいかにし得るかという間いが否応なく<サークル>〜にもかかってしまっているのである。(むろん<サークル>〜だけではない。ひとりひとりが教室から追いやられて向かおうとするところすべてにこの問いは投げかけられている。)そしてもし<サークル>〜がこのような教室〜学生情況から目をそむけさせ、そこにおける孤立(感)をまぎらわす機能を果たすとしたら、その限りにおいて<サークル>〜は情況にとって負の存在である。
 大学祭についても同じことがいえよう。期間的な制約はあるにせよ、<サークル>〜<学友会>よりも人数的にもより多くの学生存在とかかわりをもつが故に、やはり大学祭にかかる貴任は大きい。そして情況にとって負の存在である大学祭ならば、ない方がいい。
七五大学祭基調より

 「大学祭を一切やめてしまったらどうか」という問いかけがかねてよりある。かつて「大学を一切なくしてしまったらどうか。」という問いかけがあった。
 あなたにとって二つの問いは同じか違うか。前者の問いに対して答えていこうとすることは、未だ宙づられたままの後者の間いにいかほどか答えていくことになるだろうか…。
 「何故、大学祭なの?」
 実を言うと<大学祭なんかかどうだっていい>のだ。どんなに見ばえがよくたって、バザーが盛況だって、いろんな催し物が多くたって、それ自体が重要なわけじやない。そんなことは百も承知のあなたは、休みを利用して旅に出る、雀荘に行く…。個々バラバラの情況の中で、個々バラバラに<旅に出>、個々バラパラに<雀荘に行く>ように、個々バラバラに<大学祭をやる>のだとしたら、大学祭なんかどうだっていいのだ。いや、むしろない方がいい。
 欲しいのは新たな共同性なのだ。本当の人と人とのつながりを創出していくことなのだ。大学に何らかの意味があるとしたら、それは大学祭がそうした新たな共同性創出の媒介となりうるかどうかにかかっている。
 「何故、新たな共同性なの?」
 それは、現在すべての人間、自然に開かれた共同性がないからだ。<あなたはわたしであり、わたしはあなたである>という本質的な関係性〜共同性がないからだ。大学キャンパスには学生相互の、学生と教官の間の底知れぬ不信感が漂っている。ではかつては、共同性というものがキャンパスに存在したのか。やはりあった。それは六八年に始まった岡大闘争の契機となった事件が象徴的に物語っている。六八年、岡大キャンパスに機動隊が乱入し、それを糾弾した一名の学生が逮捕、起訴されたことをきっかけとして数千名の大学構成員が起ち上がった。彼らにとって話したことも見たこともなくともその一名の学生は、粉れもなく「仲間」であり、「自分自身の問題」、すなわち「自分の分身」であり、まさしく「大学の自治」そのものであったのだ。そうした学生、教職員を含めたつながりの上にたって大学には自主的な空間が創られようとしていた。しかしそれは国家権力の弾圧と、熾烈化する紛争なかで、自らの身を国の庇護の下にゆだねた教職員の脱落の中で崩壊し、学生は敗北感の漂よう中散っていった。大学の自治・共同体は国家権力のなかに全崩壊したのだ。沈黙が次第にキャンパスを支配していった。学生と教官の問の信頼関係は基本的に失われ、単位という強いられたつながりだけが残った「本質的なつながりのない、孤立の情況がキャンパスに出現したのである。そして現在…。
 いつでも人間はひとりだけでは生きられないし、自分の主体性を表わせないことに苦痛を覚える。
 人は孤立の情況の中でどのようにふるまおうとするか。
 孤立に耐えつつ本質的なつながりを求めて苦闘するか。
 それとも、孤立に耐えれず自殺へと走るか。
 それとも、その場限りの、あるいは閉ざされた凝似共同性に依拠して自らの孤立感をまぎらわそうとするか。
 アナタは今どこにいるのだろうか…。

 大学祭実行委員会は情況を切開し、情況の課題を表現しようと基調を書く。
 夏休みに合宿などやり…一応必死になって…
 そんな基調すら、「大学祭基調」と名付けられただけでもうすでに届かないところにあなたはいないか。
 大学祭などどうでもいい、大学など(単位をとって卒業すること以外)どうでもいい。そういうところにあなたはいないか。
 実行委員会は言う、<新たな共同性の創出を!>アナタは言う、<そんなことはどうでもいい…。>
 だがこの<とどかなさ>、この<どうでもよさ>こそが、わたしとあなたとが共有する情況性だ。
 気が遠くなるくらい、アナタとワタシは遠い。
 だが、その<遠さ>をこそ共有しているのだとしたら、そこから出発するほかはない。
 そう、わたしのいまいる<ここ>から。
 そう、あなたのいまいる<そこ>からだ。
絶望への出発を
〜そして〜
絶望からの出発を!!

一九七八大学祭実行委員会

委員長小宮山 剛学友会総務委員
議長土屋 勝
委員落合 弘
 松永 敏彦
 板東 興
 宮家 正弘
 陰山 英男
 原 武司
 名内 哲次北津寮運営委員会
 鈴木 泉新聞会
 池田 清I‐S‐A
 黒田 伊久男少林寺挙法部
 立花 誠治映画研究部
 長尾 啓一郎農学生会
 武若 智之漫画研究会
 奥津 和宏社会科学研究部
 猪谷 大輔写真部
 田淵 邦男古武道部
 巽 信行歴史学研究部
 北原 学人共済会学生委員会
 近田 紀夫津島変態倶楽部
 堀内 秀泰工学部生産2回生
 光本 恵子地域間題研究部
 坂本 守信〜一○三被告団〜


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